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『菊とギロチン』

         十勝川

2018年  監督・脚本:瀬々敬久  脚本:相澤虎之助  出演:木竜麻生、韓英恵、東出昌大、寛一郎、嘉門洋子、大西礼芳、渋川清彦、荒巻全紀、山中崇、井浦新、大西信満、篠原篤、菅田俊、嶋田久作、宇野祥平、川瀬陽太 ほか多数 
テアトル新宿ほか全国順次公開中
公式サイト→http://kiku-guillo.com/


ちょうど1週間前に観たのですが、今でも何かの拍子に、色んな場面が頭に浮かびます。
つまり、魅了された、ということでしょう。

さてこの映画、かなり前に企画が発表された段階では、メインタイトル『菊とギロチン』に加え、『女相撲とアナキスト』というサブタイトルが付いていたような。
まさにその通りの内容で、大正末期、関東大震災の直後、女相撲の一座「玉岩興行」の力士たちと、アナキスト(無政府主義者)グループ「ギロチン社」の青年たちが出会い、心を通わせ、それぞれの闘いに挑んでいくお話し。

なお、女相撲の興行自体はかつて実在しましたが、「玉岩興行」やその力士たちは架空の存在。
また、女力士とアナキストが交流していたという歴史的事実は、ありません。
しかし、「ギロチン社」とそのメンバーは実在した団体・人物だし、彼らが関わりを持つ大杉栄や正力松太郎らは、もちろん実在の著名人。

つまりこの映画、実在の人物や出来事に虚構をぶつけて、そこで起きる化学反応や爆発を描いているわけで、いわば歴史ファンタジー。
大勢の人物が登場し、多彩な人間模様を織りなすので、群像劇でもあります。
また、女優さんたちが相撲の稽古を積み、迫力の相撲シーンを見せてくれるので、アクション映画的な側面もあります。

そして、それらのオモシロ要素と、シリアスな社会的要素がうまく融合。
近年の韓国映画によく見られるような、社会派娯楽映画になっています。

社会的要素を強く担っている登場人物は、ちょっといい加減なアナキストたちよりも、むしろ力士の十勝川たまえ(韓英恵)。
十勝川は在日朝鮮人で、関東大震災時の日本人による朝鮮人虐殺の現場から、必死で逃げてきた過去があり。
それでも彼女は、日本人であるギロチン社のリーダー中濱鐵(東出昌大)と、恋に落ちます。

さらに、十勝川を差別し虐待する、在郷軍人会の飯岡(大西信満)。
彼もまた弱者であり(貧農の出で戦時に辛酸をなめた)、「弱者が、自分より更に弱い立場の者を傷つける」という、おそらく世界中で繰り返されてきた(今も続いている)現象を、象徴するような人物です。

ところで、十勝川役の韓英恵は、この役に「キャスティングされた」というよりも、自ら熱望して役を得たとのこと。
彼女は、なぜこの役をどうしても演じたかったのか、なぜ見事に演じることができたのか。
理由は色々あると思いますが、そのうちのいくつかが、このインタビューを読むと分かります。
http://social-trend.jp/44965/
彼女のご両親のこと、ひいおじい様のこと。
写真も美しくて良いインタビュー記事なので、ぜひお読みください。

そして私は、これまで『ピストルオペラ』『蜜のあわれ』などの映画で韓さんを観てきましたが、今作の彼女は特に素晴らしいと思いまして、ぜひ彼女を描きたい、で、上に載せたようなイラストになりました。

最後に、瀬々敬久監督について。
私は瀬々監督の作品は、ピンク映画を10本くらい観たものの、一般映画はあまり観てないので、未だにピンク時代の印象が強くて。
その印象とは、「面白いし、風景の撮り方(選び方)が凄くいいんだけど、観念的すぎてやや分かりにくい」。

そういう先入観を抱えて『菊とギロチン』を観たので、「わ、分かりやすい!」と驚きました。
本当に今回、分かりやすいし観やすい、そして明るい。
でも、暴力や死にまつわる場面(特に終盤の勝虎と三治の…)では、ピンク時代の不穏で冷ややかな空気が漂っていて、その明るさと冷たさの混ざり具合が興味深いです。

この映画に関しては、まだまだ語りたいことが沢山あって。
例えば、自主制作なのに美術がかなり豪華というかしっかりしている(やはり大ベテランの馬場正男氏の存在が大きいのでしょうね)、とか。
ツイッターにもチラッと書いたように、音楽が打楽器主体でジャンベやサムルノリも入っていて面白い、とか。
色々あるのですが、ひとまず、このへんで。

レスリー・チャン、15年。

     レスリー

今月の1日はレスリー・チャンの命日だった。
彼が自ら命を絶って、15年。
特に熱心なファンというわけではないが、役者としての彼が好きで、彼の映画を色々観ていた人間として、「もう15年も経ったのか…」と思う。

そしてその命日の頃、ツイッターで、映画史研究家の鷲谷花さんが、レスリーに関する2つの中国語の記事を紹介されていた。
残念ながら私は中国語が読めないので、記事の内容を詳しく理解することはできないが、添えられた画像や見出しの漢字の並び、そして鷲谷さんの要約文から、大まかな内容を知ることができた。

https://twitter.com/HWAshitani/status/979630067662782465
https://twitter.com/HWAshitani/status/980771047468236800

レスリーは単なる人気スターではなく、保守的な香港社会における挑戦者だったということ。
今でも彼を愛する人が大勢いて、中には、彼の死後ファンになった人もいるということ。

彼は映画で同性愛者の役を主役として演じ(『さらば、わが愛 覇王別姫』と『ブエノスアイレス』)、コンサートでは中性的な(性を超越した)衣装で歌い踊り、私生活では同性のパートナーと交際していた……ということは私も昔から知っている。
しかし、レスリーが香港社会でどのように受け止められ、どのような影響を及ぼしたか、ということは知らずにいた。

彼と香港社会との関係について、日本語で書かれた資料があれば読みたい。
そう思い、以前からアジア映画について調べたい時などに訪れているcinetamaさんのブログ『アジア映画巡礼』にアクセスしたところ、ちょうど、cinetamaさんご自身の著書『レスリー・チャンの香港』が紹介されていた。

https://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/e738e74adf066ab6f657baa80f5d88e9

この本を読んでわかったのだが、レスリーは生前、香港で多くの人に愛されながら、同時に多くの人の反感を買っていたようだ。
中国社会では、家の跡継ぎである子ども(特に男児)を作ることが重要で、そのさまたげとなる同性愛はマイナスイメージが強いため、レスリーの表現も生き方も、一般の香港人や世界中の保守的な中国系の人々には、受け入れてもらえなかったという。

彼が2003年に自ら死を選んだ背景には、90年代末頃からの香港映画界の衰退、初監督作品の撮影直前での中止など、様々な要因が挙げられるが(これらに関しても『レスリー・チャンの香港』では具体的なデータとともに詳述されている)、自分の存在が社会で受け入れられないという状況にも、彼は苦しんでいたのだ。

しかし彼の死後、その状況が少し変わったという。
きっかけは、新聞に出た死亡広告。
葬儀の日時などに加え、遺族の代表者の名前が記載されるわけだが、そこには、レスリーのパートナーだった男性の名前がまず筆頭に掲げられ、その後ろに、実のきょうだい全員(姉4人・兄2人)の名前が続いていた。
つまり、大勢いる実のきょうだい全員が、レスリーとパートナー氏の関係を認め、尊重したのだ。

このことによって、
「以前は二人の関係を好奇の目で見ていた人たちも、二人の愛情、そして信頼の深さを知るにつけ、こういった形の愛もあるのだ、と認識を改めたのである。」(『レスリー・チャンの香港』P265)

正直、この部分は読んでいて、ちょっと泣いてしまった。
彼が若くして亡くなったことは本当に残念だが、葬儀の際に実のきょうだいの方たちがそういう意思表示をし、それによって人々の認識が変わったということは、せめてもの救いだ。

そして、今もなお彼の熱心なファンであり続ける人たちが大勢いて、彼の死後ファンになった人たちもいるという現実が、至極当然のこととして感じられた。

……というようなことを思いつつ、上のイラストを描きました。
ちょっと暗い雰囲気の絵になりましたが、ひとり物思うレスリー、という感じです。

『ポリーナ、私を踊る』

      ポリーナRR


2016年  フランス  監督:ヴァレリー・ミュラー&アンジュラン・プレルジョカージュ  脚本:ヴァレリー・ミュラー  出演:アナスタシア・シェフツォワ、ニールス・シュナイダー、ジェレミー・ベランガール、ジュリエット・ビノシュ、アレクセイ・グシュコフ ほか
現在、各地で上映中または上映予定あり
公式サイト→http://polina-movie.jp/


1週間ほど前に川崎のシネコンで鑑賞。
近くの席に、母娘と思しき2人連れが2組もいたのだが(どちらも娘さんは中学生くらい)、正直言って、この映画、思春期の少女とそのお母さんが一緒に観るには、ちょっと微妙な内容だ。

ロシア人の少女ポリーナは、名門ボリショイ・バレエ団のバレリーナになるため幼い頃から厳しいレッスンに耐え、みごと入団試験に合格。
しかし入団直前に突然、コンテンポラリーダンスに目覚め、両親の反対を押し切ってフランスへ行き、コンテンポラリーダンスのカンパニーに入る。
ところが、そのカンパニーも早々に辞めてしまい、先の見通しも立たないままベルギーへ行き、繁華街のクラブで働きながらダンスの練習を続けることになる。そして……。

ちなみにポリーナ、ロシアでバレエをやっていた頃は、いかにもバレリーナ風の上品で清楚なルックスだったのが、ベルギーで生活する頃には、(上のイラストのように)髪型もメイクもややケバいというか、キツい感じになっている。

つまり色んな意味で、「一般的な親が娘に期待する生き方」から、外れまくっているんである。
そして映画は、それを肯定し、彼女なりの輝き方を提示している。

ところでこの映画自体も、一般的な映画からは、ちょっと外れている。
登場人物(特に主人公)が、自分の内面を言葉で語るということを、ほとんどしないのだ。
だから観ていて、ポリーナの感情や思考がやや分かりにくかったり、彼女の行動がやや唐突に思えたりする部分もある。

しかし、彼女のダンスからちょっとした体の動きに至るまでのあらゆる「身体表現」をよく観ていると、何となく彼女の思いは伝わってくる。
具体的に言葉で理解することはできなくても、感情の「うねり」や震えを受け取ることはできる。

このことは、監督2人のうちのひとり、アンジュラン・プレルジョカージュがダンサー兼振付家であることと関係しているのだろう。
ダンスの世界で長く活躍してきた彼が、ダンス・パフォーマンスの表現方法を映画の中に注ぎ込んだのだと思う。
だから観客の側も、映画を観るというよりダンスを観るような気持ちで鑑賞に臨んだ方がいい、のかもしれない。

色々と外れた女性の生き方を、ちょっと外れた手法で描いた…という意味で、なかなか面白い映画だと思う。

そうそう、見どころはもうひとつあって、それは振付家を演じるジュリエット・ビノシュのダンス。
女優として輝かしいキャリアを誇るビノシュ、ずいぶん前からダンスにも本格的に取り組んでいるそうで、この映画でもしっかりダンスを披露してくれるのだが、その上手さと力強さに見惚れた。

『春の夢』

ボンクラ3人組


2016年  韓国  監督・脚本:チャン・リュル  出演:ハン・イェリ、ヤン・イクチュン、ユン・ジョンビン、パク・チョンボム
※シネマート新宿&心斎橋で開催されている「ハート アンド ハーツ コリアン・フィルムウィーク」にて上映中。他の地域でも順次公開予定。
「ハート アンド…」の公式サイト→http://www.koreanfilmweek.com/


ソウルの場末で居酒屋を営む女と、その店に入り浸る3人のさえない男たち。
なんだかんだ言いつつ仲の良い彼ら4人が、ぶらぶらと過ごす日々を、モノクロの映像で描いた映画。
というだけでは、ない。

彼らにはそれぞれ事情がある。
居酒屋の女イェリは、中国の朝鮮族自治州からやってきた。仕事だけでなく父親の介護もしている。
チンピラのイクチュンには身寄りがない。施設で育った。
大家のジョンビン。そこそこ裕福だが、持病があって体が弱い。
脱北者のチョンボム。ろくに給料も貰えないまま、勤め先をクビになってしまった。

監督のチャン・リュルは中国出身で、以前から中国の朝鮮族を映画で描き続けている。
チョンボム役のパク・チョンボムは、かつて脱北青年が主人公の映画『ムサン日記』を、自ら監督・主演して作った。
おそらくはこの2人の思いが重なって、上記のような設定になったのだろう。

しかしこの作品、いわゆる社会派映画というわけでも、ない。
たしかに、差別や貧しさや人生の上手くいかなさ…といったものが、確実に底に流れてはいるのだが、多くの場面では、ひたすら4人が呑んだり遊んだりしている。
しかもその姿が、けっこうコミカルなのだ。

特にヤン・イクチュン。
本人が監督・主演の『息もできない』では、非常に暴力的なチンピラを見事に演じていたが、今回は同じチンピラでもかなりキャラが違っていて、なんというか、観ていていちいち「プッ」と笑ってしまうような役柄&芝居。
伸ばしっぱなしの長髪に派手な柄シャツ、太すぎるズボン…という絶妙にダサいファッションも、たまらん。
市場で、全ての店の人に話しかけながら少しずつツマミ食いして食事をタダで済ませる姿とか、やることなすこと、ダメダメだけど微笑ましい。

そして上のイラストに書き添えたように、3人組を演じているのは全員、映画監督なのだが、残りの1人、ユン・ジョンビンはというと。
彼自身は、『悪いやつら』や『群盗』など人気スターの主演作も撮っている、なかなかの売れっ子監督。
インタビュー時の撮影で、デカいグラサンをかけてビシッとポーズをとるような人なのだが、この映画では、おかっぱ頭に地味~な服を着て、ヌボ~っとした男になりきっている。

そういえば、この「実は監督」な3人が映画について喋るシーンがあって。
そこで話題になるのがジャッキー・チェンの『酔拳』というのも、なんか、いいんだよなあ。

そしてこの映画、ちょっと不思議な終わり方をする。
人によって解釈が分かれるだろう。
「ワケわからん!」と怒る人もいるかもしれない。
でもまあ、『春の夢』というタイトルなんだし(原題も)、辻褄が合わなくても、ちょっと奇妙でも、いいじゃないですか、夢なんだから。
と、かばいたくなる。

たぶん私はけっこう好きなのだ、この映画。
登場人物たちが、いつまでも心の隅のほうに残りそうな気がする。

「恋する女優 芦川いづみ」

        いづみR


去年の夏、神保町シアターでの特集上映「恋する女優 芦川いづみ アンコール&リクエスト」で、『男と男の生きる街』(1961)を観て、この芦川さんのイラストに取りかかったのですが、どうもうまくいかず、いったん中止。

その後、ときどき取り出して少しずつ描き直していたら、最初よりは良くなってきたので、ブログに載せようと思ったものの、載せるきっかけがなく。

そんな時、同シアターが開館10周年(おめでとうございます!)の節目に、これまでの特集の人気投票として「総選挙」を行うことに。
芦川さんの特集は以前から人気があって、「恋する女優 芦川いづみ」シリーズは既に第3弾まで開催されているので、そのうちのどれかがきっと上位に来るだろう、そしたらお祝いでイラスト載せよう…と思っていたら、本当に、シリーズ第1弾(2015年8~9月)が見事2位になりました。

(ちなみに『男と男の生きる街』は、その第1弾では上映されてないし、来月から開催される総選挙特集でも上映されません、あしからず…。)

さて芦川さんといえば、比較的初期の作品、例えば『風船』『洲崎パラダイス 赤信号』『誘惑』などの頃は、実年齢がまだ20歳くらい、しかも「前髪がとても短く、横と後ろは長い」という髪型だったため、かなり少女っぽく可憐な印象でした。

しかし『男と男の生きる街』では、先述の作品群から5年くらい経っていて、ご本人も役柄も、しっとり落ち着いた大人の女性に。
髪型も、以前とは正反対(前髪がやや長めで横と後ろはとても短い)なので、かなり印象が違います。
ただ、それでもやっぱり本質的な可憐さは、変わらない。

大人っぽさと可憐さ、2つの魅力が共存している感じを、イラストで少しでも表現したかったのですが、できたかどうか。

ところでこの『男と男の生きる街』、石原裕次郎演じる熱血記者が謎の殺人事件を追う…というスター映画で、全編にわたって関西のいろんな場所でロケされているんですが。
京都のお寺で撮影されたと思しきシーンで、極端な引きの画になるカットがあって。
裕次郎氏や芦川さんなど、メインのスターさんたちが、すごく小さくしか映ってなくて。
なんだか、そこだけシュールというか、妙に印象に残ってます。

そして今度、例の総選挙特集で、さっきチラッと触れた『誘惑』が上映されるのですが、これ、すごく面白いです。
以前、旧作邦画に詳しい知り合いの方が大好きな映画だと仰っていて、期待して観に行ったところ、期待以上の素晴らしさでした。

観た当時にツイートした感想の一部を、ここに書いておきます。
「ラブコメの群像劇で、約60年前の作品なのに全然古くないし洒落てるし笑える。細部まで工夫に満ちた精緻な工芸品のような映画。」

7月7日からの特集上映「神保町シアター総選挙2017」の詳細は、こちらです。
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/10th.html

『イップ・マン 継承』

      ドニー低い構え

2015年  中国・香港  監督:ウィルソン・イップ  脚本:エドモンド・ウォン  出演:ドニー・イェン、マックス・チャン、リン・ホン、パトリック・タム、ケント・チェン、チャン・クォックワン、マイク・タイソン ほか

各地で上映中、または上映予定あり  
公式サイト→http://gaga.ne.jp/ipman3/


武術「詠春拳」の達人でブルース・リーの師匠として名高いイップ・マンの生涯を描く、シリーズ3作目。

今回は、街を荒らす不動産王フランク(マイク・タイソン)と戦う羽目になったり。
「自分こそが詠春拳の正統」と主張するチョン・ティンチ(マックス・チャン)から挑戦状を叩きつけられたり。
物静かで争いを好まないイップ・マン(ドニーさん)にとって、困ったことが続出。
さらには、愛する妻(リン・ホン)が病魔に襲われてしまい……。

シンプルで分かりやすいストーリーですが、作品自体に「物足りない」という感じは無いです。
やはり、素晴らしいアクション・シーンが随所に登場するからでしょう。

今回のアクション監督はユエン・ウーピン。
アメリカでも活躍し、今や世界的なアクション監督ですが、今回、古巣の中華圏、しかも自分の弟子といえる2人(ドニーさんとマックス・チャン)がメインの映画ということで。
いかにも動きづらそうな場所で戦わせたり、素手だけでなく色んな武器を使わせたり、ハイレベルかつ凝った演出になっています。

ただし一部のシーンでは、ドニーさんが自らアクションの振り付けを担当したそうで、それはイップ・マンとフランクとの戦いのシーン。
ここでイップ・マンは、非常に印象的な構えのポーズをとります(上のイラストに描いてあるポーズ)。
実はこのポーズ、正式な詠春拳の型ではなく、「詠春の構えのまましゃがんだポーズ」だそうです。

つまり、リアリズムとしては×なのだけど、かっこよくて劇的な効果もあるから「映画の演出」としては◎、という考え方なのですね。
その結果として、あのポーズが気に入ってイラストに描いたりする観客も出てくるわけですから、まさにドニーさんの思うつぼ、ですなあ。

いっぽう俳優としてのドニーさんは、というと。
昔はドニーさんがこういう「物静かで穏やかな人」を演じていると、なんかちょっと無理してるというか、本来はギラギラした人が頑張って静かな人を演じてるように見えたものですが。
今回は、そういう無理やり感・頑張り感は一切なし!
自然にイップ・マンになりきっているように見えました。

ドニーさんも今年で54歳だし(撮影時は52歳くらい)、人としても役者としても経験を積んで、渋みが出てきたのかもしれません。

また優れたアクション俳優とは、「役の感情や意志をアクションで表現できる人」だと私は常々思ってますが、そういう意味でも、ドニーさんはますます成長しているし、マックス・チャンも今後さらに活躍しそうな予感がします。

最後に、この映画のパンフレットについて。
谷垣健治さんと江戸木純さんと飯星景子さんによるコラム、くれい響さんによる川井憲次さん(劇伴担当)へのインタビューなど、香港アクションやドニーさんに縁の深い方たちが参加されていて、読みごたえがあります。

映画のパンフって時々、「なんでこの人が書いてんの?」と思うような、作品にあまり関係ない人が文章を寄せていて、読んでみるとたいてい、ぼんやりした抽象的な感想文だったりするのですが、今回のパンフは上記のメンバーですから、具体的で面白い記事ばかり。
このブログ記事を書く際にも、参考にさせていただきました。

『哭声/コクソン』

       祈祷師ジョンミンRR

2016年  韓国  監督・脚本:ナ・ホンジン  出演:クァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、國村 隼、チョン・ウヒ、キム・ファニ ほか
各地で上映中  公式サイト→http://kokuson.com/


少し前に観たので細部はやや記憶が薄れているものの、作品自体の印象はまだまだ鮮烈。
というのも、ちょっと変わった映画でして。
何より、構成が変わってると思います。

基本的には、田舎での連続殺人事件と、それを捜査する警官(クァク・ドウォン)の話で、その警官の日常・家族・心情といったものも詳しく描かれるので、彼が主人公ではあるのですが。
クライマックスのガーッと盛り上がるところでは、謎の日本人(國村 隼)と祈祷師(ファン・ジョンミン)がメインになって、警官は脇に追いやられてしまいます。
ちなみに、その日本人と祈祷師に関しては、背景や心情は描かれません。
まさに謎の2人。

つまり、いちおう警官の視点で話が進むものの、大事なところで謎の2人が大活躍(?)するという、不思議な構成。
結局この映画って、警官の視点で観ないほうがいいと思います。
特定の誰かの視点でなく、全体を俯瞰するような気持ちで、しかも、ある村の話でなく世の中とか世界を見渡すくらいのつもりで観たほうが、いろいろ感じるものがあるんじゃないかと。

ナ・ホンジン監督は前作の『哀しき獣』も面白かったのですが、今回は作風が変化していて、また別の面白さがありました。

役者さんではやはり、國村さんとファン・ジョンミンが特に強烈でしたねー。
國村さんがこの摩訶不思議な役で、青龍賞(韓国の有名な映画賞)の助演賞のみならず人気スター賞まで獲ったというのは、國村さん自身も凄いし、韓国の観客の皆さんも凄い。

そしてファン・ジョンミン、いや~やっぱりイイなあ、この人。
祈祷シーンが2回あるんですが、両方とも踊りが素晴らしく、しかも激しい。
彼はもともとミュージカルもやっていて、西洋的ないわゆるダンスが得意なので、今回のような非常に東洋的な衣装や小道具を使っていても、踊り自体は西洋のダンス寄りで、それがまた独特の味わいになってる。

ジョンミン氏に関しては、以前、『新しき世界』でのサルっぽい顔を描いたことがあるのですが、今回は民族衣装のダンス姿、次は洋服で全身像(あくまで予定)…といった具合に、いろんな姿を描いていきたいです。
なお上のイラストは、2回目の祈祷シーンです(1回目とは衣装がかなり違う)。
左手に持っているのは鈴です、棒の先に鈴がいっぱいついているもの。
ブドウではありません…。

『人魚姫』

      CCF_000010.png

2016年  中国・香港  監督・脚本:チャウ・シンチー  出演:ダン・チャオ、リン・ユン、キティ・チャン、ショウ・ルオ ほか
現在、各地で上映中  公式サイト→http://www.ningyohime-movie.com/


20年ほど前に『0061 北京より愛をこめて!?』(94)を観て、主演&共同監督のチャウ・シンチーにすっかり魅了された私。
以後、ずっとシンチーを追いかけています。

彼はその後もしばらく「主演&誰かとの共同監督」というスタイルを続けていましたが、やがて「主演&単独での監督」になり。
またしばらくそれを続けたのち、『西遊記~はじまりのはじまり~』(13)では監督業に専念。
今回の『人魚姫』でも出演はせず、監督に専念しています。

で、この『西遊記』と『人魚姫』の両方、つまりシンチーが監督に専念した2作品にメインの役で出演しているのが、ショウ・ルオ。
おそらくシンチーは、ショウ・ルオを高く評価していて、喜劇俳優として大きく育てたいと思っているのでしょう。

ショウ・ルオもその期待に応えて、そ~と~頑張っています。
彼はもともとアイドルとして人気があったらしく(なるほど顔立ちはキュートなイケメン)、歌やダンス、俳優業など多方面で活躍、今では「アーティスト」と呼ばれるような存在。
そんな彼が、『西遊記』では「空虚王子」という珍妙な役を演じ、今回の『人魚姫』では、また違った珍妙さを持つ「タコ兄」を、熱演・怪演しています。

『人魚姫』は、「悪徳実業家による環境破壊で行き場を失った人魚族が、その実業家の暗殺を企て‥」というストーリーで、ショウ・ルオ演じるタコ兄は、人魚族のリーダー。
人魚なのになぜか下半身がタコで、上半身は貝殻で作った飾り(?)を着用、頭は金髪の編み込みヘア。

この外見だけでもかなり強烈なのに、派手なギャグをいろいろとかましてくれて(特に鉄板焼きのシーン)、実になんというか激しい役です。
ショウ・ルオ、『西遊記』では青白い二枚目だったのに、今回は体をムキムキに鍛えてワイルドな兄貴になりきり、顔面の筋肉も鍛えたのか、ものすご~く顔を歪ませたりします。
でもイラストに描いたように、驚いて目を丸くした時は急にアイドル風な可愛い顔になったりして、まあ忙しい。

なんかショウ・ルオのことばっかり書いてますが、他の役者さんも皆いいですよ~。
悪徳実業家役のダン・チャオは、気持ち悪いダンスが最高。
人魚姫役の新人女優リン・ユン、かわいい(若い頃のスー・チーにちょっと似てるかも)。
警官役のリー・ションチンは近年のシンチー映画によく出ている人で、すごく特徴のある顔をしていて、それだけでも面白いのですが、今回はイラストを使ったギャグが炸裂!
あと、ツイ・ハーク監督が脇役でちょっと出演していて、相変わらずカッコいい。

さて肝心の作品自体は。
風刺的な内容もありつつ、ファンタジーやラブストーリーの要素もあり、そしてやはりシンチーなので、基本的にはコテコテのコメディ。
コントのような場面が多いのですが、決して「コントの羅列」にはならず、ちゃんと「映画」になっています。
ギャグを大事にしつつも、全体を貫くストーリーや人物の感情の流れも大事にしている。
シンチーの映画は昔からそうですが、今回改めて、そのことを強く感じました。

ところでこの映画、主題歌もすごくいいです(特に「ウッ! ハッ!」という掛け声が)。
日本版の予告編にはこの主題歌が使われてないので、こちらのMVをどうぞ→
https://www.youtube.com/watch?v=0Qrd9z0J2gM

『無垢の祈り』

    CCF_000007.png

2015年  監督・脚本:亀井亨  出演:福田美姫、BBゴロー、下村愛、サコイ、綾乃テン、奈良聡美、YOSHIHIRO、幸将司、高井理江、シゲル、三木くるみ、河嶋遙伽、平山夢明

■渋谷アップリンクにて上映延長中、宮崎シネマ館にて11月14~18日再上映
■シネマスコーレ(名古屋)にて2017年1月上映予定、松本CINEMAセレクトにて2017年2月上映予定、京都みなみ会館にて2017年上映予定
公式サイト→http://innocentprayer.s2.weblife.me/


先週、渋谷アップリンクにて鑑賞。
この映画について、原作者で出演もしている平山夢明が、初号試写を観てこう言ったそうだ。
「もう少し手加減しないと、観て死ぬ人が出るなと思った」。

なるほど、主人公の10歳の少女・フミ(福田美姫)は、学校ではいじめられ、通学路では小児性愛者に狙われ、家では義父(BBゴロー)と実母(下村愛)に虐待されている。
暗く辛いストーリーだ。
しかも、フミが会いたいと願うのは連続殺人犯で、その彼のグロテスクな犯行シーンもある。
また、直接的な描写ではないが、義父による性的虐待のシーンもある。
観て強い衝撃を受ける人がいても、まったく不思議ではない。

しかし私の場合、ある程度内容を知ったうえで観に行ったせいか、それほど凄い衝撃‥というのは無かった。
(ただラストで、タイトルの「無垢の祈り」の本当の意味が分かったときは、衝撃というよりも、ひどく悲しくて泣きそうになった。)

さらに言えば、この映画、たしかに観て辛くなる要素は多いものの、意外に(?)観やすくするための工夫もされていると思う。

例えば、先に述べた「学校でのいじめ」は、直接的には描かれない。
(もし、学校で同級生に嫌なことをされている描写などがあったら、この映画全体がもっと息苦しいものになっていたはず。)
そして、フミがひとりで自転車を走らせるシーンが多く、これが何だか開放的というか、観ていて少しホッとする。

また、フミは川崎あたりに住んでいるという設定らしく、川崎の工業地帯がたびたび映し出されるのだが、その夜景がとても幻想的で美しい。
児童虐待など現実的な内容の映画なのに、この夜景カットのおかげで、ダーク・ファンタジーのような雰囲気も生まれている。

ダーク・ファンタジーといえば、先述した「性的虐待の直接的でない描写」、これもやや幻想的か。
ただこの描写は、非常に辛い体験をした人が陥る、ある特殊な心理状態のメタファーとも受け取れるので、安易に「幻想的」などと言ってはいけないのかもしれない。

そう、やっぱり重い映画であることは確かだ。
性的虐待や暴力だけでなく、精神的な虐待も描かれていて、こちらはかなりリアルに表現されている。
例えば、義父がフミに延々と奇妙な説教をするシーン。
おかしな理屈で偉そうに喋りつづけるわけだが、こういう、相手をやたら支配したがる、支配欲の異様に強い人のイヤ~な感じが、よく出ていた。

というわけで、いろいろと見応えのある映画だった。
しかし、ひとつだけ気になったことがある。
主演の福田美姫ちゃんは撮影当時9歳だったそうだが、わずか9歳の少女に、芝居とはいえこういう状況を経験させていいのか? ということ。
どうか美姫ちゃんが今後生きていくうえで、この映画にまつわる思い出が、何かの糧になりますように。

最後に、イラストについて。
劇中のフミは前髪が長く常に顔が隠れ気味で、つまり、美姫ちゃんの顔がよく分からず‥。
場面写真を参考にしつつも、かなり自分のイメージで描いてしまった。
たぶん、似てない‥。


   ◆◆◆◆◆ 追記(11月17日) ◆◆◆◆◆

(最初に記事をアップした時、本当は他にも書きたいことがあったのですが、内容が主観的・個人的すぎると思い、やめました。でも日が経つにつれ、やっぱり書きたくなったので、書いておきます。)

『無垢の祈り』を観た時、さほど強い衝撃を受けなかったのは、先日書いたような理由によるものだが、実はもうひとつ、非常に主観的な理由があった。
それは、「安らぎを感じたから」。
私はこの映画に対して、奇妙な安らぎのようなものを感じたのだ。
特にラスト。
「ひどく悲しくて泣きそうになった」のは事実だが、それと同時に、なぜか安らぎのようなものも感じた。

主人公フミは、義父だけでなく実母にも(おそらく)絶望し、フミの悲痛な「祈り」と「叫び」で映画は終わる。
それを観ていて、悲しいと同時に、「ああ、絶望してもいいんだ」と思った。
この「絶望してもいい」という感覚が、私にとっては、ある種の安らぎなのかもしれない。

私自身は、フミのような過酷な環境で育ったわけではない。
現実にフミのような人はたくさんいて、その人たちに比べれば、はるかに恵まれた環境だったと思う。
しかし、どうしても受け入れがたいことがあり、10歳かそこらで、父親と良好な関係を築くことを諦めた。
絶望というほど激しいものではなかったが、それに近い気持ちも少しはあったかもしれない。

そういえば、今ふと気づいたのだが。
昔から、子どもを主人公にした作品で、私が惹かれるものは、たいてい「10歳かそこらの子どもが親と決別する(せざるをえない)」という内容だ。
例えば萩尾望都の『訪問者』とか、ダルデンヌ兄弟の『イゴールの約束』とか。
そして今回、『無垢の祈り』が加わった。

『無垢の祈り』の場合、「親と決別」という内容ではないのかもしれない。
客観的に見れば、違うのかもしれない。
しかし私の勝手な解釈では、あれは、「実母と決別する話」だ。
原作小説よりも映画のほうが、さらにその色が濃くなっていると思う。


それと、もうひとつ。
私は先日、「わずか9歳の子どもに、芝居とはいえこういう経験をさせていいのか?」と書いた。
この思いは、今も変わらない。
そして、この思いは、一般的なモラルや倫理とは関係ない。個人的なものだ。

私の場合、さほど大したことでもないのに、10歳頃のその経験が、成人後の自分に微妙に悪影響を与えていて、未だに完全には克服できてない。
だから、いくら芝居であっても、9歳で強烈な経験をしてしまうとどうなるのだろう‥‥と、ちょっと心配になってしまうのだ。

もちろん、監督はじめスタッフ・キャストの皆さんが、撮影時には充分配慮をされただろうし、その後もケアをされているはずなので、余計な心配だとは思う。
というか、余計な心配であってほしい。

結局、この映画にはとても惹かれるけれど、同時に少し疑問も感じる。
かなり矛盾した話だが、これが私の正直な感想だ。
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サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
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