『舐める女』

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2016年  監督:城定秀夫  脚本:長濱亮祐・城定秀夫  出演:七海なな、青山真希、富沢恵、木下桂一、沢村純、麻木貴仁、森羅万象 ほか

※この映画のR18版『汗ばむ美乳妻 夫に背いた昼下がり』が、9月16日から1週間、シネロマン池袋で上映されます。
詳細はこちら(クリックするとセクシー画像も出てきます、ご注意を)。
http://cineroman.blog92.fc2.com/blog-entry-597.html


先月テアトル新宿で観た『舐める女』(R15)がとても面白かったのですが、1回しか上映されず、観逃した方も多いのでは‥と思っていたところ、R18版がシネロマンで上映されることに。
で、それに合わせて記事をアップすることにしました。


カオル(七海なな)は男性の汗の匂いで興奮する、匂いフェチの主婦。
特に夫の輝彦(木下桂一)の匂いが大好きなのだが、彼は極度の潔癖症で、超キレイ好きなので、ほとんど石鹸の匂いしかしない。
とにかく何でも清潔にして、規則正しい生活をする輝彦。

そんな彼との生活でストレスがたまったカオルは、近所のグラウンドなどで、汗をかいた男たちの衣類をこっそり盗んできて、自慰行為に耽っていた。

ある日、カオルが汚れた床をティッシュで拭いてトイレに流していると、トイレの水が逆流しはじめる。
慌てて修理業者を呼ぶと、やってきたのは、汗っかきの青年・浅野(沢村純)。
カオルは思わず、彼の汗ふきタオルをバスルームに持ち込み、自慰行為に及ぶ。
その姿を見てしまう、浅野。
2人は深い仲になり、頻繁に会うようになった。

一方、輝彦は取引先の西岡(森羅万象)の接待として、上司(麻木貴仁)に連れられSMクラブへ。
最初は嫌がっていた輝彦だが、女王様・美香(青山真希)の調教を受けるうち、だんだん快感を覚え、美香のもとへ通い詰めるようになるのだが‥‥。


というわけで、あらすじを書きましたが。
このあらすじだけだと、「ちょっと暗くてインモラルなエロ映画」をイメージする方が、いるかもしれません。

でも実際は、「明るくコミカルなエロ映画」です。
ヒロインの匂いへの執着や夫の潔癖症っぷりが、あくまでも明るく描かれているし、いろいろと細かいギャグも仕込んであって、笑えます。
ちなみに私が特に好きなギャグは、「お茶と牛乳」です(観れば分かります)。

しかもこの映画、「道徳的」とまでは言いませんが、最終的にはけっこう「いい話」になります。
いわゆるインモラルな映画、ではありません。

で、そういう感じを表現したくて、上のイラストを描いてみました。
この映画の場合、いつもの私の絵のタッチでは違和感があるな~と思い、ウームと考えていたら、パッとこういう絵が浮かんだのです。

最後に。
舞台挨拶での監督の発言によると、この映画、真冬の非常に寒い時期に、2日半で撮影したそうなのですが。
全くそういう風には見えません。
画面の中は完全に真夏で、猛暑で、誰もが自然に汗をかいている感じです。
作品自体の面白さはもちろんのこと、低予算・短期間の撮影でもきちんと季節感まで演出している、その点にも敬服します。

あと、もうひとつだけ。上映館について。
今回、成人映画館での上映なので、「観たいけど行きづらい」という方もいると思います。特に女性は。
私自身(中年の女です)、たまに成人館に行っていて、特に酷い目に合ったことは無いものの、色々あって作品に集中できない時もあるので、無理にオススメするつもりはありません。

ただ今回のシネロマン池袋の場合、「夫婦・カップル割引」というのがあって、男女ペアで同時入場すれば、年齢に関係なく2人で2000円になります。
この割引を使って、男女2人とか4人とかで行くと、ある程度は行きやすいかもしれませんね。

『痴漢電車 さわってビックリ!』

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2001年  監督:榎本敏郎  脚本:河本晃  出演:川瀬陽太、麻田真夕、葉月螢、佐野和宏、小林節彦、十日一秀悦、鈴木敦子、あ子 ほか
(『痴漢電車 さわってビックリ!』は、成人映画館での封切時のタイトル。シナリオタイトルは、『耳を澄ます夏』。また現時点での成人館での上映タイトルは、『熱い吐息 股間のよだれ』。)

最近、曽根中生監督が亡くなってしまったり、新橋ロマンが閉館してしまったり。そのあたりのことも色々と書きたいのですが、今回は、この13年前に作られたピンク映画について。

なぜかというと、少し前に、ドロップさんがこの映画を激賞しているのを読んで、そしたら久しぶりに観直したくなって、観たら書きたく(描きたく)なった、というわけです。

私のこの映画との出会いは、たしか10年くらい前。知り合いの方が、複数のピンク映画やロマンポルノを(おそらく)CSで録画したテープをくれて、その中に入っていたんですね。
観てみると、とてもいい作品だし、なにしろ佐野和宏が猛烈にカッコいいので、いつかちゃんとスクリーンで観たいな~と思っていたら、数年後にその機会があって、さらにまた数年後にもスクリーンで再会。

そんなわけで、観るのは多分これで4回目。そして今回は、劣化したテープでの鑑賞。画質がよろしくないので、スクリーンで観た時の印象を思い出しながら‥という妙な状況。
しかし! それでも! 面白かった。ほんと、細かいところまで丁寧に工夫して作ってあるなあ。

たとえば、電車でスリをしているアスカ(麻田真夕)が、その仕事(?)を無理やり手伝わせているユウジ(川瀬陽太)に対し、ある何気ない台詞を全編にわたって何度も言うのですが。
いちばん最後に言った時だけ、それまでとは違った切ない思いが濃厚に込められていて、グッと胸に迫ってきたり。

あと、ドロップさんが書いていた、中年スリ役の佐野和宏が川瀬陽太のポケットにハーモニカをねじ込むところも、もちろんイイのですが。
その直後、手前に川瀬氏、奥に小さく佐野氏‥という図になった時、よく見ると、奥の佐野氏がけっこう細かい芝居をしていて、その足の動きが面白い。

とにかく、よくできたラブコメ。明るくて軽快、爽快。
ピンク初心者の方でも、観やすい作品だと思います(DMMで配信されてますよ)。

そして今回のイラストは、主演の川瀬陽太。
彼に関しては、以前記事を書いたことがあるのですが、それにひとつ付け足しておくと。

彼を若い頃からずっと(映画の中で)観ていて思うのは、5年くらい前に顔つきや雰囲気が変わったな、ということ。
それまでは、ずっと青年っぽいというか、実年齢より若く見える状態が続いていた(と思う)のですが、5年くらい前、ちょうど彼自身が40代に差しかかった頃から、歳相応の渋さとか(良い意味での)オッサンらしさが出てきたなあ、と。

もちろん、この『さわってビックリ!』の時の彼は、まだまだ青年っぽい。
そして役柄は、かなりマヌケでいつもジタバタしていて‥‥。でも終盤に、ある決断をした時、少しキリッとした顔になります。その顔を、描いてみました。

『仮面の宿命~美しき裸天使』

原題:『モンスターは何処にいる』
2009年 監督・脚本:山﨑邦紀 出演:牧村耕次、小笠原黎、久保田泰也、神夜、佐々木恭輔(共輔)

 数日前、『浜野佐知映画祭』の上映作品として、オーディトリウム渋谷にて鑑賞。前にも書いたように、この映画祭では浜野氏のプロデュース作品ということで、山﨑邦紀監督の薔薇族(ゲイ)映画が2本上映されました。そのうちの1本。
 もう1本の『メモリーズ』も観たかったのですが、残念ながらその日には行けず。

 さて山﨑監督と薔薇族映画というと、ひとつ思い出すことがありまして。それは、1994年に発行された『銀星倶楽部19 桃色映画天国1980-1994』というムック本に載っていた、山﨑監督の文章。
 いちおう「自作の薔薇族映画の現場リポート」ということになっていたものの、現場の様子だけでなく、彼のこのジャンルに対する思いも詳しく綴られていて。発行当時、かなり興味深く読んだ記憶があります。
 
 ちなみに薔薇族映画は、ピンク映画の中の1ジャンルのようになっていて、ピンクの監督によって作られる場合が多く。つまり、たいていのピンク監督は、(男女の営みを描く)ピンクと、(男性同士の営みを描く)薔薇と、両方を手掛けているわけで。山﨑監督も、そう。
 そして彼は、さきほど紹介した文章の中で、「ピンクより薔薇の方が、作っていて面白い」という意味のことを、理由も含め、かなり長く書いていました。

 で、『仮面の宿命~美しき裸天使』。この映画も、きっと監督は、面白がりながら作ったのでしょう。いろいろ凝ってるし。
 
 たとえば、装飾(小道具)。主人公の大学教授(牧村耕次)の部屋が、ちょっとした博物館か美術館みたいになってます。めずらしい絵画や置きものが、ズラリ。
 監督のブログの撮影現場レポートによると、絵画は監督の知り合いの妖怪画家(?)の方が描いたもので、置きもの類はスタッフが人から借りたりして集めたとのこと。これらのものが飾られていることによって、教授の部屋が(そして彼自身も)独特の妖気を放っています。

 あと凝っているといえば、台詞。教授は哲学の研究者ということもあり、講義のシーンでも私生活のシーンでも、哲学的な、そして凝った言い回しの台詞が多い。
 また彼の台詞には、西洋哲学だけでなく、東洋哲学(というか仏教哲学)的な要素も含まれていて、個人的に興味深かったです(諸事情により最近、仏教哲学を少し勉強しているので)。
 さらに教授の発言に影響される形で、他の登場人物もなかなか面白いことを言っていて。できればこの映画、もう1回観て、台詞を細部まで確認したい。

 しかし私にとって、この映画で最も印象的だったのは、実は、佐々木恭輔氏の役柄と演技だったりします。佐々木氏は、もともとの顔立ちが濃い(キツい)せいか、気性の激しい役や欲望ムキ出しな役を振られることもあるのですが、今回は、実に穏やかで淡々とした男性を好演。

 この男性も教授もゲイで、若い頃にひとりの美少年(神夜)を取り合った仲、という設定。しかし「取り合った」といっても、教授の方が圧倒的に優勢で、あっさりと美少年を奪って行ったらしく。その後、美少年は若くして亡くなり、残された2人の男は、特に仲がいいわけではないが、ある種の同志のような関係を築いている、と。
 そして佐々木氏演じる男性は、老いた教授を気遣って、一升瓶片手に教授宅を訪れたりするわけです。で、さほど歓迎されない、でも拒否もされない。そんな状況で、静かに笑顔を見せるんですよ。この柔らかな笑顔が、いいんだなあ~。

 さらに、実は教授は脳腫瘍で、死を意識しはじめてから、美少年の亡霊を見るようになっていて。その「教授と美少年(亡霊)の世界」に、彼(佐々木氏演じる男性)も加わり、幻想的な3Pシーンが展開されます。
 あの世とこの世が混じり合った3P。耽美でエロでファンタジック。このシーンだけでなく、この映画全体を、そう形容することもできるでしょう。

 ところで。先述のムック本を引っ張り出して、例の山﨑監督の文章を改めて読み直していると、こんな言葉が目に飛び込んできました。「金○ゴロゴロ」。
 ○の部分はあえて伏せましたが、これはつまり‥‥「男二人が上下に重なって抱き合い、パンツ一枚で股間をこすり合わせているのを、足側から狙ったカット」において、4個の金○がゴロゴロと揉み合っている様子のことだそうです。で、山﨑監督は、これに魅了されている、と。

 そういえばこの『仮面の宿命』にも、「金○ゴロゴロ」カットが登場します。例のムック本は1994年発行、この映画は2009年制作。山﨑監督、長年にわたって「金○ゴロゴロ」に魅了されていたんですね。今は、どうなんだろう‥‥。

『それでも人生にイエスと言う』

公開題:『あぶない美乳 悩殺ヒッチハイク』
2011年 監督:森山茂雄 脚本:佐野和宏 出演:みづな れい、倖田李梨、酒井あずさ、久保田泰也、川瀬陽太、本多菊次朗
シネロマン池袋にて上映中(11月8日まで)

 数日前に、シネロマン池袋にて鑑賞。森山監督の前作『アラサーよっこらしょっと!』(2010)と同じく、脚本が佐野和宏で、主演が「みづな れい」。
 『アラサー』の記事にも書いたように、佐野さんの脚本作の特徴は「センチメンタルで分かりやすい」ことだと私は思っていたのですが。今回は、そういう作品ではなかったです。過剰なセンチメンタリズムは排除されているし、観た人が自由に解釈できるような(良い意味での)曖昧さがある。

 (聞くところによると、佐野さんは昨年、大病を患ったりされて色々な変化があったそうで、もしかしたらそのことが作品に影響しているのかもしれません。しかし、詳しい事情を知らない私が勝手な推測をするべきではないので、こういう見方は今は、やめておきます。)

※以下の文章では、作品の結末に少し触れています。

 さきほど、「過剰なセンチメンタリズムは排除されているし、観た人が自由に解釈できるような(良い意味での)曖昧さがある」と書きましたが、それが最もよく表れているのが、終盤での、ヒロインが10年ぶりに父親と会うシーン。
 10年前のある出来事を大きな心の傷として抱えてきた彼女が、父親に語りかけます。「恨んでないよ」「淋しかったんでしょう?」などなど。ここで父親が綺麗な返事をして涙を流したりすれば、映画全体が綺麗に分かりやすくまとまるのでしょうが、そうはならない。詳述は避けますが、父親の反応は、ヒロインにとっても観客にとっても、かなり厳しいもの。結局、彼の内面が明かされることは無い。

 つまり、「解決」とか「救い」とか「納得」といったものは、無い。ヒロインだけでなく、彼女が旅の途中で出会う大きな問題を抱えた主婦にも、解決や救いは訪れない。
 ‥‥こう書くと、まるですごく暗い映画のようですが、そんなことはないです。全体を通してコミカルな味付けもしてあるし、何よりも最後の最後に、ヒロインからすべての登場人物と観客に対して、ある柔らかな贈り物がありますから。

 そういえば、まだストーリーの紹介をしてなかったですね。ひとことで言うと、ロードムービーです。序盤は、まさに公開題の『あぶない美乳 悩殺ヒッチハイク』という感じ。ヒロイン・れい(みづな れい)が、ヒッチハイクしたトラックの運転手(久保田泰也)と、明るくアオカン。
 次に出会った主婦(倖田李梨)とは、孤独を分け合う美しいレズ行為を。立ち寄った居酒屋では、女将(酒井あずさ)や常連客の漁師(川瀬陽太)たちと出会い、女将とは何も無かったものの、漁師とは‥‥といった具合に、さまざまな人と出会い、セックスしたりしなかったり。テキ屋(本多菊次朗)からは印象的な言葉と、ある物をプレゼントされます。

 ところでその数々のセックス・シーン、各人物の生活や性格がよく表れていて、見応えがあります。ストーリー紹介では触れませんでしたが、女将とテキ屋の濡れ場なんて、ワケあり中年男女の色気が炸裂していて、本当に素晴らしい。
 あと、漁師が最初に自分のことを「ジェントルマン」だと言うのですが、これはあくまでも自称であって、実は‥‥ということが、セックス・シーンで表現されていたりします。
 
 これらのシーン、俳優さんたちの力量によるところも大きいですが、やはり監督の演出が上手いのでしょう。今回は全体的に、音楽の使い方やキャスティングもとてもよかった。
 鑑賞後に作品データを見て知ったのですが、(顔が映らない)父親役を実はアノ俳優さんが演じていた‥ということにも、「なるほどー」と唸りました。

 で、結論を書くと‥‥私、この映画、いいと思うし、個人的にも好きです。「解決や救いが無い」という点で評価も好みも分かれるでしょうが、私はその点こそが好きですね。
 「解決や救いは無い、それでも生きる」。私自身、ここ数年間、そういう気持ちにならざるを得ないことが多いせいか、妙に共感できます。

 最後に。佐野さんの作風が変わった、みたいなことを最初にやたら書きましたが、「変わってないなあ」と思う部分もあるんですよ。それは、原題の付け方。実に佐野さんらしい。

『忘却の河』

成人映画館での公開題:『白昼の人妻 犯られる巨乳』
2011年 日本 監督:竹洞哲也 脚本:小松公典 出演:櫻井ゆうこ、かすみ果穂、園部貴一、岩谷健司、毘舎利敬、酒井あずさ、倖田李梨、岡田智宏、サーモン鮭山
(全国の成人映画館で順次上映中)

 2週間ほど前に、上野オークラ劇場にて鑑賞。
 この『忘却の河』の元ネタは、香港ノワール、特にジョニー・トー監督の『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』であると、関係者の方々が公言しています。たしかに、『忘却の河』のストーリーにおける、「家族を殺された主人公が復讐を決意」「復讐者(主人公)は記憶喪失」という2大要素は、『冷たい雨~』と同じ。
 
 ただピンク映画の場合、基本的に、女性が主人公であることが(会社側から)求められるので、主人公の性別は、「男性→女性」に変更されています。つまり、記憶喪失の復讐ヒロイン。そして、演じる櫻井さんは巨乳。エロ・ノワールですなあ。
 あ、今、思いつきで書いたんですけど、「エロ・ノワール」というジャンルはあるんでしょうか? もし無いなら勝手に作ります。なんか語感が気に入ったし。
 
 さて私が、この映画の中でヒロイン以上にエロ・ノワール的だと思うのは、かすみ果穂演じる蘭です。蘭は、エロでビッチな敵キャラ。殺し屋で、SMの女王様。かすみさんは可憐な役も似合いますが、それとは正反対のこういう役でも、きちんとこなしています。
 あと、やはり敵キャラのヤクザとその手下(毘舎利敬&岩谷健司)。ふたりはホモ関係で、急にフッとキスしたり卑猥な会話を交わしたり、これまたイイ感じのエロ・ノワール。毘舎利さんも岩谷さんも、相変わらず達者だし。

 ただ作品全体としては、やや中途半端というか、ノワールになりきれてないというか‥‥。ギャグが多すぎると思うんですよ。ノワールなのかコミカル作品なのか、よく分からない。
 おそらく作り手側としては、わざとギャグを多めに入れて、「ちょっとコミカルなノワール」を狙ったのだと思いますが、作品を観た限りでは、「照れている」ように見えるんですよね。ノワールを作ることに対して、照れている。潔くない印象を受けます。

 特に気になったのは、クールな殺し屋・龍一(園部貴一)のお腹が肝心な時にグ~ッと鳴ってしまう、というギャグ。これ、要るかなあ? なんか昔のコントみたいで、あまり面白くないし‥‥。
 そもそも園部さんは、この劇画的なキャラがすごく似合って様になっているのだから、妙にいじらないでほしいです。彼は本当に、いい顔をしている。美形云々ではなく、劇画的な虚構を実写で表現する力を持った顔立ち・顔つき、という意味で。

 ところで、倖田李梨演じる女医(役名)。以前チラッと書いたように、カート・ラッセルを連想しました。ジョン・カーペンター作品におけるカート・ラッセル。そう、スネークですね。
 黒い眼帯と、「いきなり自分の呼び方を指定する」ところが、そっくり。女医は「女医って呼んで!」と言い、スネークは「コール・ミー・スネーク!」と言いますから。さらに、倖田さんのけっこう筋肉質な体つきも、カート・ラッセルを彷彿とさせます。
 
 余談ですが、私にとってのスネークとは、おもに『エスケープ・フロム・L.A.』での彼。なぜなら『エスケープ~』は、作品自体が非常に印象的だから。というか、めちゃめちゃ心に残っているシーンがあるんですよ。「よくこんなこと思いつくな~」と、感心しながら呆れて笑ったシーンが。
 どのシーンかは、ご想像にお任せします。

『囚われの淫獣』

(上記のタイトルは公開題。原題は特に無い模様。)
2011年 日本 監督・脚本:友松直之 出演:柚本紗希、倖田李梨、若林美保、藤田浩、津田篤、如春
○全国の成人映画館で順次上映中

 1ヶ月半ほど前に、上野オークラ劇場にて鑑賞。その直後に忙しくなったりして、しばらくブログから離れていたので、書くのが遅くなってしまいました。
 つまり観てからかなり日が経っているわけですが、では現時点で、この作品のどこがいちばん印象に残っているかというと、終盤の、津田さん演じるタナカくんの選択(運命?)だったりします。これについては、あとで述べます。

 まずこの作品のストーリーは、「ピンク映画の観客たちが劇場に閉じ込められ、しだいに彼らの欲望が露わになっていき‥‥」というもの。ジャンルとしては、メタ映画(映画の中で映画を語る)の側面が大いにあり、作品の中で、「ピンク映画とは」「成人映画館とは」といったことがバンバン語られます。
 
 この語られる内容というのが、ピンク映画ファンに対して批判的というか、手厳しいというか。特に、女性のピンク映画ファンに対しては、手厳しいのを超えて「ヒドい」までいっているかも。
 例えば、「ピンク映画館に女が来るのは、男性専用車両に女が乗り込むのと同じ。痴漢されてもレイプされても文句は言えない」とか。しかもこれ、セリフとして発せられるだけではなく実際に、ピンク映画館に来ている女性がレイプされるシーンもあります(夢か現実か分からない、という設定ではありますが)。

 こうなると、「女性のピンク映画ファン」である私は、キーッと怒るべきなのかもしれません。しかし残念ながら(?)、腹は立たないんですよね。苦笑はしますけど。
 この映画に限らず、友松監督はブログなどで、女性のピンク映画ファンや女性全体に対して、かなり辛辣なことを繰り返し述べているのですが、私は彼のそういう主張に対し、共感はしないものの、反感も持ってないのです。
 
 なんというか‥‥どんなに辛辣なことが主張されていても、それは主張である以上に、問題提議としてこちらに迫って来るんですよ。「俺はこう思う!」ではなく、「皆はどうなんだ?」と、揺さぶりをかけてくる感じ。
 今回も、先に述べたようなセリフやシーンがあって、それを観た私がどう思ったかというと‥‥「それでも私はやっぱりピンク映画館に行く」。実際、この作品を観た後も、また上野オークラに行ったし。まあ結局のところ、自分がどうしたいかということを、しっかりと再確認させてもらったわけです。
 
 ところで最初に書いたように、私がこの映画でいちばん印象に残ったのは、終盤でのタナカくん。

※以下の文章では、作品の結末に触れています。
 
 タナカくんは、スクリーンに映る幻の女に恋をしたあげく、現実を捨て、スクリーンの中の世界へ行ってしまいます。彼にとって、現実も、現実の女も、耐え難いものだった。だから幻想の世界へ行く。
 この「現実より幻想を選ぶ」ということも、友松監督の作品で、繰り返し描かれている要素です。そして監督はその要素を、特に悲しいこととして描くわけでもなく、ことさらに美化するわけでもない。まるで当然のことのように描いています。

 私が、友松監督のある面に苦笑しつつも、彼の作品や言動に注目しているのは、このあたりに原因があるのかもしれません。つまり、この件については、かなり共感しているのです。私の中には、「現実より幻想を選ぶ」ということに対して、「それもアリだろう」という思いがある。
 現時点で、自分自身がそういう選択をしたいわけではないのですが、だからといって、そういう選択をする人を否定したくないし、否定できない。悲惨なことだとも思わない。
 
 今回の作品では、自分の中にあるこういう傾向も、再確認させてもらいました。

『押入れ』

(成人映画館での封切時のタイトルは『味見したい人妻たち』、再映時のタイトルは『疼き奥さん いい味たっぷり』)
2003年 日本 監督・脚本:城定秀夫 出演:KaoRi、白土勝功、田嶋謙一、橘瑠璃、サーモン鮭山、佐倉麻美、飯島大介

 5日前に、シネロマン池袋にて鑑賞。城定秀夫氏の監督デビュー作。ストーリーは、「元教師の人妻が、かつての教え子である男子高校生を自宅の押し入れに住まわせ、夫の不在時に関係を持つ」というもの。
 ピンク映画でこのストーリーだと、いかにも好色そうな美女が年下男を支配しているようなイメージを持たれるかもしれませんが、実際にはそういう映画ではありません。この人妻と男子高校生のカップルには、どこか可愛らしいというか、微笑ましい雰囲気さえ感じられます。

 おそらくこれは人妻のキャラクターや、心理描写の仕方から来ているのでしょう。彼女の容姿もファッションも喋り方も、やや乙女チックだし。時折、彼女の「心の声」が書き文字で表示されるという演出も、ある種の少女マンガのよう。
 さらに言えば、男子高校生のキャラクターも、「不幸な境遇で育ったモテ系の美少年」という、乙女ワールドの住人っぽい設定。そして彼女と彼は、性的な関係があるにもかかわらず、仲の良い姉・弟のようにも見える。

 ではこの映画、妙に乙女チックすぎてエロさが薄いのかというと、全くそんなことはなく。むしろ、かなりエロいです。性描写が多いし、しかもじっくりと丁寧に描かれているし。
 つまり、なんというか‥‥乙女チックかつエロエロ、なのですよ。この2つは普通、あまり共存できないはずなのに、この映画では不思議に共存している。

 ちなみに「乙女チック」というのは、やや大げさな表現で、より正確に言うと、「甘さ(スウィートな感じ)や淡さがある」といったところ。こういう、いわゆる背徳的なストーリーの場合、暗い映画やドギツイ映画になりがちなのに、それとは逆の、甘く淡い浮遊感のようなものを漂わせた映画になっているのは、ある意味、凄いです。
 そういえば城定監督の作品で、『どれいちゃんとごしゅじんさまくん』というのがありまして。これは、恋人の奴隷として生きる少女を描いた映画で、世間一般の感覚では、かなり背徳的なストーリーなのでしょうが、作品自体には、乙女チックな甘さや明るさが漂っています。
 もしかしたら城定監督は、世間が背徳的だと見なすような人や事柄を、むしろ可愛いと思っているのかもしれません。

『センチメンタル女子』

成人映画館での公開題:『三十路の女 巨乳はじける』
2011年 日本 監督:竹洞哲也 脚本:小松公典、山口大輔 出演:櫻井ゆうこ、岩谷健司、倖田李梨、津田篤、若林美保、久保田泰也、岡田智宏
(全国の成人映画館で順次上映中)

 1週間ほど前に、上野オークラ劇場にて鑑賞。ラジオ業界を題材にした作品とのことで、ラジオ好きの私は、以前から楽しみにしていました。で、実際に観てみたところ、ひとひねり(?)あって、「ラジオ業界を題材にした」というよりも、「業界を去った男女が再びラジオの仕事に戻るまでを描いた」作品でした。

 DJの加奈(櫻井ゆうこ)とディレクターの鉄也(岩谷健司)は、聴取率の低迷により自分たちの番組を打ち切られ、辞職。今では2人とも、加奈の故郷である田舎町で新たな人生を歩んでいるが、実はまだラジオの仕事に未練があった。また、加奈を追ってきて町に住みついた鉄也は、ずっと彼女を思い続けているものの、ハッキリと告白できずにいた。
 そんな中途半端な2人とは対照的に、周囲の人々はストレートかつパワフル。鉄也の仕事仲間・孝(津田篤)は、加奈の友人・渚(倖田李梨)にしつこくアタックし続け、加奈の姉・美雪(若林美保)は、町の女性たちのアイドル・直也(岡田智宏)と加奈を強引に引き合わせ、加奈のファンだった直也は、積極的に加奈に近づいていく。そうこうするうちに、鉄也と加奈の心境にも変化が‥‥。

 要するにこれは、何かに対して臆病になっている、もう若くはない主人公が、周囲の人々のパワフルさに影響され一歩前に踏み出す‥という話。竹洞・小松コンビの作品としては、『再会迷宮』と同じパターンですね。舞台が地方の田舎町でヒロインの故郷、という点も同じ。
 ただ、『再会迷宮』とこの『センチメンタル女子』には、大きな違いもあります。まず、『再会~』の主人公は真希という女性だけでしたが、『センチメンタル~』の主人公は加奈と鉄也、女性プラス男性。さらに、主人公が臆病になっている対象も、『再会~』では恋愛だけだったのが、『センチメンタル~』では恋愛プラス仕事。

 つまり、大きな要素がいくつか増えているわけです。が、それによって作品自体の面白さも増えたかというと、残念ながら、そうでもない。

 まず、主人公が男女ペアになったといっても、男性(鉄也)ばかりが目立っていて、女性(加奈)の方は何だか影が薄い。まあこれは、鉄也を演じる岩谷氏が、役者として押しが強いということも関係しているのでしょう。なにしろ彼は、芝居が達者なだけでなく独特の愛嬌もあるし、しかも顔がデカい。今回のように、小顔でスタイルのいい共演者たちに囲まれていると、画面の奥にいても手前にいるように見える(というのは半分冗談)。
 それと、加奈の影が薄くなってしまったのは、鉄也に比べて加奈の人物像が描き込まれてないせいもあるかも。例えば、鉄也が自分の原点として、中学生の頃に授業でラジオを作ったことや深夜放送に熱中したことを、生き生きと語るシーンがあるのですが、加奈にはそういうシーンが無い。まあ彼女は基本的に「感情をあまり表に出さない」という設定なので、仕方ない部分もあるものの、背景や心情が描かれなさすぎで、どういう人物なのか、今ひとつよく分からなかったです。

 さらに、主人公が臆病になっている対象として「恋愛」の他に「仕事」が加わったといっても、この新たに加わった「仕事(ラジオ)」という要素が、あまりきちんと描かれていない。そもそも、この映画における「今のラジオ界」に対する認識は、やや単純すぎます。
 例えば鉄也が、「自分たちの若い頃がラジオの黄金時代だった」というようなことを言ったり、加奈が、「今は皆テレビやネットばかりでラジオに興味が無い」というようなことを言ったりして、この映画では全体的に、「ラジオは流行らなくなった」という認識が前提になっているわけですが、この認識、半分正しいけど半分間違いなのです。

 たしかに昔に比べると、「ラジオ好きの若者」は激減しました。しかし今は、ポッドキャストの普及により、例えば昼間の番組を朝夕の通勤中に聴くとか、いろんな聴き方が出来るようになったこともあって、30代以上の人たちの中に、ラジオ好きが少しずつ増えています。
 また最近は、例えばリスナーが生放送を聴きながらツイッターで呟き、そのツイートを即座にDJが読み上げ、さらに話題が広がるなど、ネットとラジオが連動してきており、それをキッカケにラジオにハマる人もいます。
 とにかく今は、昔とは違う楽しみ方がいろいろ出てきているし、前の記事で紹介した小島さんのように、実力のある喋り手たちが改めて注目されているわけですから、せっかく今、映画でラジオを取り上げるなら、そのへんのこともきちんと押さえてほしかったです。というか、今書いたようなことは、劇中で主人公たちがラジオの仕事に戻る理由として、使えると思うんですけどね。

 最後にひとつ、非常に細かいことを。劇中で、登場人物たちが加奈の元の仕事を「DJ」と言っていて、それゆえ私も、あらすじ紹介でそう書いたのですが、実は私はこの呼称には、ちょっと違和感があります。というのも、加奈はリクエストされた曲を「かける」のではなく、「ピアノで演奏する」というスタイルだからです。
 DJすなわちdisc jockeyとは、(「disc」という言葉が入っているくらいだから)レコードやCDなどの録音媒体を使って放送やパフォーマンスをする人のことであって、楽器を演奏する場合はDJとは言わないのでは‥‥。しかしこれ、厳密にはよく分からないので、断言はできません。
 ただまあ、最近はそれぞれの喋り手や局によって、パーソナリティとかナビゲーターとかいろんな呼称があるわけだし、この映画でも、「DJ」ではなく何か変わったオリジナルの呼称を使えば、作品のアクセントになって面白みが増したんじゃないでしょうか。

『恋味うどん エピソード0』

(成人映画館での公開タイトル:『桃肌女将のねばり味』)
2007年 日本 監督:竹洞哲也 脚本:当方ボーカル(小松公典) 出演:沢井真帆、松浦祐也、吉岡睦雄、倖田李梨、青山えりな、岡田智宏、なかみつせいじ

 2日前、上野オークラ劇場にて鑑賞。
 この作品、いちおう楽しく観たものの、細部に矛盾が多く、それらがどうしても気になりました。しかも、「ただの矛盾ではなく実は大きな意味がある」と受け取ることも可能なので、最終的にはその方向で考えて、自分なりの大胆な(?)解釈に行き着きました。
 といっても、べつに難しい映画ではないんですヨ。私が細部にこだわりすぎているだけです、多分。まあ、このブログをずっと読んでくださっている方ならお分かりのとおり、私は映画を観て違和感を持った場合、小姑の小言のように細かいことをネチネチあげつらう癖があり、今回もズバリそれなんですね。

 さてこの映画、原題からも分かるように、『恋味うどん』(2006)の過去パートというか。主人公・一義の、青年時代をメインにした作品です。

※以下の文章では、作品の終盤に触れています。

 若き日の一義(松浦祐也)は、うどん職人としての修行のため全国を放浪していた。ある村で、理想のうどんに出会った彼。さっそく、そのうどんを作った信介(吉岡睦雄)に弟子入りする。
 信介は、若女将の秀子(沢井真帆)が切り盛りする、民宿兼うどん屋の料理人。信介と秀子は思春期の頃から仲が良く、かつては村の誰もが、2人は結婚すると思っていた。だが秀子の父の死がキッカケで、2人の仲はギクシャクしはじめ、その状態が今も続いていた。
 事情を知った一義は、彼らのために一肌脱ぎ、ついに信介と秀子は、互いの気持ちを確かめるように肌を重ねるのだった。

 とまあ、以上のような内容が、この映画のメイン部分。現在の一義(なかみつせいじ)が、娘の幸(青山えりな)に若き日の思い出を語って聞かせる‥という形で描かれます。つまりこのメイン部分は、「一義が語った思い出話を映像化したもの」というわけ。
 しかしですね‥‥そのわりには、「一義がその場に居合わせてないシーン」が、けっこうあるんですよ。

 例えば、信介と秀子が厨房で2人きりになり、気まずさに耐えられなくなった信介が、そそくさと買い出しに行くシーン。あるいは、自室でひとりで寝ている秀子が、しだいに自慰行為に耽っていくシーン。さらにクライマックスの、一義が去った後の民宿で信介と秀子がセックスするシーン、などなど。
 つまり、「一義が実際に見ていない(はずの)出来事」が、次々に描かれるわけです。
 
 といっても、これらを理詰めで説明するのは可能。例えばそういうシーンについて、「一義の妄想だ」とか「一義があとで秀子たちから聞いた話だ」とか、いくつかの理由は成り立ちます。 
 だから、少しでいいから、幸が一義にツッコむ描写を入れてほしかったですね。「お父さん、その場にいなかったのに、なんで分かるの?」てな感じで。それに対して一義が、「デへへ~、実はここは俺の妄想なんだよ」とか何とか答える。そうすれば、とりあえず辻褄は合います。

 でも、こうして考えているうちに‥‥私、作品全体に対するやや大胆な解釈を思いつきました。それは、一義のこの思い出話はほとんどがホラ話である、という解釈。
 
 そもそも。作品の序盤で、現在の一義のところに、信介と秀子から「自分たちの子供が結婚することになった」という手紙が届くので、信介と秀子が若いうちに結婚したのは(おそらく)本当なわけですが、極端な話、それ以外は本当かどうか分からないわけで。
 例えば、実は2人にはギクシャクしていた時期などなく、ずっと仲が良くてそのまま結婚しただけなのに、一義が自分のおかげで結婚できたように話を作っている‥‥とか。まあ他にもいろんなパターンが考えられますが、とにかく、かなりの部分がホラである可能性はわりと高い。

 というのも、一義の思い出話には、先に述べたような矛盾点だけでなく、別の意味での矛盾点もあって、なんか全体的に嘘っぽいんですよ。
 その「別の意味での矛盾点」とは、一義と秀子が風呂場で関係を持ってしまうシーン。このとき秀子はかなり積極的で、つまり彼女の方から誘ったと。これ、ちょっと理解しづらい。
 や、秀子が信介のことで悩んでヤケになったとか、信介に対するあてつけでやったとか、いろんな見方は出来ますよ。しかしそれにしても、途中までならともかく最後までやってしまうというのは、どうにも不可解。つまりこのシーンも、一義の妄想(ホラ話)に見えなくもない。

 さらに、(現在の一義を演じる)なかみつせいじ氏の演技も、「一義=ホラ吹き」な感じを強めているというか。不思議なことに、なかみつ氏、前作(『恋味うどん』)と同じ役なのに、なぜか演じ方が違うんですよ。前作では、常に真面目で頑固一徹な雰囲気を醸し出していたのに、今回は、妙に軽くてお茶目。
 つまり前作での一義のキャラなら、ホラ話など一切しない感じなのですが、今回のキャラだと、いくらでもしそうな感じ。それゆえ(今回の)幸は、父の思い出話のほとんどがホラだと思っていて、だからこそツッコミ入れずに笑顔で聞いてあげている、と。

 あ~、こういう風に解釈すると、かなり別の映画になるなあ。でも私としては、これはこれで、けっこうイイ話だと思うんですけど。
 ただまあ、作り手の方たちからは、「へんな解釈するな!」と怒られるかもしれませんね。

『わいせつ性楽園 ~おじさまと私~』

(上記のタイトルは成人館での公開題。原題は不明。)
2009年 日本 監督:友松直之 脚本:大河原ちさと 出演:野上正義、水無月レイラ、山口真里、里見瑤子、金子弘幸、友松直之

 2週間ほど前に上野オークラ劇場で行われた、「野上正義さん追悼上映会」にて鑑賞。
 とても爽やかな映画だと思います。なんかこう、いい具合に乾いた風がフワッと吹き抜けていったような、そんな印象の作品。ピンク映画なので、もちろん濡れ場は何度もあるし、内容的にも老い・孤独・暴力・病、そして死が描かれるのですが、それでも爽やかな余韻が残っています。
 なぜなのか。しばらく考えてみて、思いついた理由。主人公ふたりの、性格というか「生きる態度」が潔いから。

 上野(野上正義)は、妻に先立たれた老人。由紀(里見瑤子)と明美(山口真里)という2人の娘がいて、明美とは同居している。しかし明美は多忙で、由紀もあまり訪ねてこないため、彼は独りで過ごすことが多い。
 マリカ(水無月レイラ)は、恋人と別れようとしている若い女。思春期に義父(友松直之)にレイプされ、やがて家出をし、さまざまな風俗店で働いてきた。恋人のケンジ(金子弘幸)とは、最初はうまくいっていたが、彼が暴力をふるうようになり、逃げ出した。また彼女には、パニック発作の持病があり、いつも薬を持ち歩いている。
 そんな上野とマリカがある日、出会う。そして急速に親しくなっていくのだが‥‥。
 
 上野もマリカも、世間的には「不幸」とか「かわいそう」とか言われがちな境遇に生きています。しかしどうやら彼らは、自分のことをそんな風には思っていない。
 や、少しくらいは思っているかもしれませんが、実際の言動には、自己憐憫的なものが全く無いんですよ。彼らは、軽い愚痴くらいは言うものの、恨みごとは一切言わないし。メソメソしないし。自分の境遇について語る時も、淡々と語るし。
 なんというか、「自分に起きたことを、辛がらずに全て引き受けて生きる」、そんな潔さを感じます。

 この印象は、演じる役者さんの持ち味とも、深く関係しているような気がします。
 まず野上氏。彼はベテランの名優で、もちろん存在や演技に重みはあるものの、重すぎないんですよね。深刻になり過ぎない、というか。つねに飄々としているし。

 そして水無月レイラ。友松監督のブログによると、素の彼女は野上氏を気遣う優しい子だったそうですが、女優としてはダメダメで、「演技以前に台詞が全く覚えられない」状態だったとか。つまりこの映画の彼女は、演技をしているわけではなく、ほぼ素の状態で、監督やスタッフから言われたとおりに動いたり喋ったりしているだけ、なのでしょう。
 しかし逆に、それが良かったのかもしれません。というのも、例えばある程度芝居ができる女優や、あるいは熱演型の女優が演じていたら、このマリカというヒロインは、もう少し湿っぽくて感傷的な人物になっていたと思うんですよ。
 演技のできない、「感情を込める」などということのできない水無月レイラが扮したことによって、マリカは、“「不幸」と言われがちな境遇でも淡々とサッパリと生きる娘”になったんじゃないかと。また、素の水無月さんの優しさがそれとなく伝わってくるので、淡々としていても冷たい感じにはなってないし、結果的には良かったんじゃないでしょうか。

 ところでこの映画、終盤はちょっと意外な展開になります。そしてラストシーン。上野は、まさに「自分に起きたことを、辛がらずに全て引き受け」ます。深い悲しみはあっても、自分なりに納得して引き受ける。そのシーンでの、上野=野上氏の笑顔は、特に心に残っています。

 最後に。
 先ほどチラッと触れたように、友松監督がご自身のブログに、この映画の裏話や野上氏の思い出をお書きになっています。やや長めの文章ですが、「長くてもかまわない!」という方は、ぜひお読みください。とてもいい文章なので。
http://ameblo.jp/n-tomomatu/entry-10751192697.html
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
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