『しゃべれども しゃべれども』

2007年 日本 監督:平山秀幸 脚本:奥寺佐渡子 出演:国分太一、香里奈、森永悠希、松重豊、八千草薫、伊東四朗

 先週、上映会にて鑑賞。東京の下町を舞台にした、若い落語家が主人公の映画です。私は落語に対して特別な関心は無く、ラジオの演芸番組で時々聴くくらいなのですが、最近キッカケがあって落語に関することを少し考えていたところ、ちょうどこの映画の上映会があることを知り、不思議な縁を感じつつ観に行った次第。
 
 二つ目の落語家である今昔亭三つ葉は、どうにも伸び悩んでいます。古典を愛し地道に稽古を重ねるも、真打にはほど遠い状況。そんな三つ葉が、ひょんなことから自宅で「話し方教室」を始めます。
 生徒は、大阪から引っ越してきて学校に馴染めない男子小学生、無口で無愛想な若い美女、喋りが下手な野球解説者。三つ葉は3人を指導しながら、自らも一門会に向けての稽古を始めます。最初のうちは教室も稽古も上手くいかず困り果てる三つ葉でしたが、生徒たちとの関わりを通じて、現状に少しずつ変化が‥‥。

 観た時は、「なんだかアッサリした映画だなあ」と思いました。例えば、三つ葉も生徒たちも皆悩みを抱えているのですが、それらはあまり深く描かれず、事情や背景も今ひとつ不明だったりします。そんな具合に全てが薄めの描写で、サラッと流れていく感じ。
 しかし少し時間がたってみると、「待てよ、これって、映画自体が落語の味わいを狙っているのかも」と思い直しました。ずっしり重い感慨よりも、軽妙洒脱な楽しさとほのぼのした雰囲気を優先した作り。そう考えると非常に納得がいきます。
 
 また私は以前、この映画と同じく奥寺佐渡子氏が脚本を担当した『怪談』についても「サラッとしすぎ」と書きましたが、『怪談』の場合は恐怖や性愛を描いているからそう感じるのであって、今回のような内容の場合、サラッと流す方が合っているのかもしれません。

 ところでこの映画、登場人物たちが高座で落語を披露するシーンは、どれも噺の途中を省略したりして短くまとめてあります。これ自体は仕方ないですよね。ひとつの噺の所要時間が30分とか40分とかなので、それぞれを全部見せていると、上映時間がとんでもなく長くなってしまうし、映画の全体的なバランスも崩れてしまいますから。
 
 ただ、一門会での三つ葉の落語だけは、もう少し長く見せてほしかったです。それまで三つ葉は師匠を敬愛するあまり、師匠の真似をして劣化コピーのような芸しかできなかったのが、ここで初めて自分の味を出せるようになります。単に巧くなったのではなく、「噺を自分のものにした」という状態なので、観客としてはなるべく長く味わって、それまでとの違いを充分に感じ取りたかったです。
 またこのシーンは、映画全体の中でクライマックスにあたる部分なので、他の落語シーンよりも際立って長くした方が、メリハリがあっていいのではないでしょうか。

 俳優さんたちは皆、ハマり役で好演。特に松重豊は、「元プロ野球選手で今は解説者、普段は毒舌なのに仕事となると何も喋れない」という面白いキャラクターにうまく馴染んでいます。
 考えてみると、彼のように40代以上で背が高くていかつい顔立ちの俳優さんには、「不器用な元スポーツ選手」という役はぴったりですよね。スポーツ選手の中には引退した後、解説やタレント業などを器用にこなせる人も居ますが、そうでない人も居るわけで、後者の屈折を松重氏のような役者さんが演じると実に説得力があるよなあ~と感心しました。

「若者が若者を容赦なく描く」ということ

 『盗まれた欲情』についての記事で、映画監督の経歴というか、監督になるまでの修業の仕方が云々、ということを少し書きました。その続きです。前回とはやや違う観点から書きます。
 今村昌平監督のデビュー作『盗まれた欲情』(1958)と、西村昭五郎監督のデビュー作『競輪上人行状記』(1963)を同じ日に観て、どちらも新人離れしてるな~と感心させられたわけですが、それは単に作品の「完成度の高さ」の問題だけではありません。もうひとつ大事なのは、「主人公の突き放し方」。
 
 どちらの作品も「世事に疎い大学出のインテリ青年が、さまざまな経験を積んで大人になる」というような内容で、主人公の幼さや愚かさなどを容赦なく描いているのです。さらにここで注目したいのは、今村監督も西村監督も有名大学を卒業しているということ。つまり両監督はデビュー作において、自分と同じような立場の青年を、厳しく客観的に描いたわけです。
 若くして自分に似た存在を冷徹に見つめることができたのは、お2人がもともと成熟した観察力の持ち主だったからでしょう。しかしそのほかに、彼らが長い間助監督として働いたことも影響しているような気がします。

 最近読んだ『映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法』(ワイズ出版)というインタビュー本の中で、澤井監督が若い頃のエピソードをたくさん語っていました。その中でも特に印象的なのは、助監督としての初仕事のくだり。
 なんと、いきなり当時の大御所俳優である片岡千恵蔵の主演作につく羽目になったそうです。その際、先輩から「失礼があって降ろされた助監督もいるから、気をつかうように。片岡さんではなく御大、もしくは先生と呼ぶように」と忠告され、身を固くして仕事に臨んだとか。
 
 この本に限らず、ご年配の監督のインタビュー記事などを読んでいると、助監督時代に「大物俳優の怖さに震えた」「ベテランの監督やスタッフに怒鳴られた」「時には理不尽な扱いも受けた」というような話をよく目にします。昔の助監督は、現場で年長者たちから厳しく指導されたり小僧扱いされたりしていたのですね。
 なかには単なるイジメもあったかもしれないし、一概に良いこととも言えないでしょう。しかしそのような経験を通して、若い助監督が「自らを厳しく客観的に見る目」を養っていったのではないでしょうか。今村監督や西村監督の場合は、さらにそれを作品にうまく結実させたのだと思います。

 ところで比較的最近の映画でも、若い監督が若い主人公を容赦なく描いている作品はあります。私が真っ先に思い浮かべるのは、山下敦弘監督の『ばかのハコ船』(2002)。
 若いカップルのダメっぷりを緩い感じで描いた、笑える映画です(こう書くと、未見の方には「ダメ人間をひたすら愛でている作品」のように思われるかもしれませんが、実際には、若いダメ人間を面白く描きつつも、かなり厳しく突き放している映画なのです)。
 
 ちなみに山下監督は、大学の映像学科出身。卒業制作の映画が注目されたのがキッカケで、プロの監督になったそうです。助監督を経ていないという点で、今村監督たちとは対照的な経歴ですよね。となると、経歴はそれほど関係なく、やはり個人の資質の問題が大きい‥とは思うのですが、ちょっと気になることもあります。
 
 山下監督が学んだ大阪芸術大学では、昔からベテランの映画人を教員として招いていて、しかもいわゆる「著名人の名前貸し」ではなく、彼らがかなり学生と接しているらしいのです。実際、山下監督も大学時代に中島貞夫監督の指導を受けていたそうで、プロになってからの作品にも、中島監督の名前が協力者としてクレジットされていたりします。かつての修業や師弟関係とは形が違いますが、こういう年長者との交流が、「自分や自分の世代を客観的に見る」という意識につながっているのかもしれません。

ベラベラ喋る謎の男

 前回の『競輪上人行状記』の記事で小沢昭一のことを書いていて思い出したのですが、彼の持ち歌で『父ちゃん音頭』というのがあります。中高年男性の悲哀を楽しく表現した歌で、サビの部分の歌詞は、「♪ああ前立腺肥大症~」。
 私はこの歌の存在を、『伊集院光 日曜日の秘密基地』というラジオ番組で知りました。この番組では時々、「おバ歌謡」(おバカな歌謡曲)の特集をやっていて、その中で紹介されていたのです。伊集院氏は小沢氏をとても尊敬しているらしく、歌の解説をしながら小沢氏を激賞していました。
 
 まあ『日曜日の秘密基地』は、『小沢昭一の小沢昭一的こころ』と同じ局(TBSラジオ)の番組なので、その激賞には社交辞令的な意味合いも含まれていたでしょう。しかしやはり、そういうことだけではないような気がします。
 なぜなら、この世代も外見も全く異なる2人には、芸人としての基盤の部分で非常に大きな共通点があるからです。それは、本格的に落語の勉強をしているということ。小沢氏は若い頃からずっと落語の研究を続けている方ですし、伊集院氏は元落語家(三遊亭楽太郎の弟子)です。
 
 私はラジオが好きで、特に伊集院氏の番組のファンなのですが、そうなったのは随分前にたまたま彼の「2時間ひとり喋り」を聴いたのがキッカケ。ある日眠れずに枕元のラジオをつけると、ちょうど『伊集院光 深夜の馬鹿力』という番組が始まったところで、何となく聴いているうちに、どんどん引き込まれていきました。
 内容は、彼が仲間たちと決行した「日本最北端のエロ本自販機を探す旅」の様子をひたすら語る‥というもの。CMをはさみながらではありますが、約2時間、彼が1人で喋り続けました。
 
 実は私はその日、体調が悪くてかなり苦しかったのですが、気がつくと番組を聴きながらゲラゲラ笑っていました。そして笑うと同時に「この人、凄いな」と感心しました。
 彼の存在自体はそれ以前から知っていたのですが、こんなに喋りが巧いとは知らなかったのです。しかも掛け合いではなく1人でこれだけ長時間というのは只者ではないな、と。だから後に彼が落語家出身と知った時は、深く納得しました。「独りで語る」ということに関して厳しい修業を積んだ人でないと、なかなかああいう喋りは出来ないと思います。
 
 ちなみに『深夜の馬鹿力』は、毎回そういうスタイルで進行するわけではありません。通常は、まず冒頭で伊集院氏の長めの喋りがあって、その後はいろいろなコーナーに分かれており、リスナーのハガキ紹介の時間も多いです(最近あまり聴けてないので断言は出来ませんが)。また、内容的には『日曜日の秘密基地』は一般向けで、『深夜の馬鹿力』はかなりマニアックです。
 
 ところで、彼は小沢氏と違って本業が俳優ではないので、映画には少ししか出ていません。今後も多分あまり出ないでしょう。ラジオなどで活躍すべき人なので、それでいいと思います。ただ私の個人的な希望として、今後もし映画に出演する場合は、語りの巧さが重視される役で出てほしいです。思い切って、あの独特の容姿を封印してみるのも面白いかもしれません。例えば、彼はデヴィッド・リンチの映画が好きなので、ああいう奇妙かつ不可思議な作品のなかで殆ど姿を見せないままベラベラ喋り続ける謎の男とか、どうでしょうか。

※追記‥‥『伊集院光 日曜日の秘密基地』は、2008年3月末で終了しました。

『競輪上人行状記』

1963年 日本 監督:西村昭五郎 脚本:大西信行、今村昌平 出演:小沢昭一、南田洋子、加藤嘉、加藤武、伊藤アイ子

 しばらく前に、シネマアートンにて鑑賞。西村昭五郎監督のデビュー作。前回の記事に書いた『盗まれた欲情』と同じく、「インテリで世事に疎い青年が、さまざまな経験を積んで大人になる」系の内容ですが、こちらの方がよりシビアで重く、さらにラストでは、大人どころか全てを超越したような存在になります。
 
 「葬式仏教」の坊主稼業を嫌い、実家の寺から離れて教師の仕事に情熱を燃やす春道。しかし兄と父が相次いで亡くなったため、教師を辞めて、傾きかけた寺を継ぐことになります。ある日たまたま競輪で大当たりした春道は、寺の再建資金を稼ごうと競輪にハマっていきますが、そうそう上手くいくはずも無く、やがて借金を重ねることに‥‥。

 春道は最初、なかなかの熱血教師です。家出を繰り返す女生徒を何度も探して連れ戻し、世話をするなど、熱心に生徒指導に取り組んでいます。ただ、かなり鈍いというか、世間知らずなところがあります。
 例えば、その女生徒の妊娠が発覚して家庭訪問をした際、同僚教師は「義父に妊娠させられた」とすぐ気付くのですが、春道は言われるまで全く気付きません。というよりも、世の中にそういう親が居るということを、知らなかったようです。
 
 また彼は妙に潔癖なところもあり、葬式や法事で金を稼ぐ父に反発しているのですが、「お前はその金で3度の飯を食って大学にまで行ったんだぞ!」と指摘されると、何も言い返せないのです。おそらく自力でいくらかの学費を稼ぐということすら、していなかったのでしょう。父や家業に依存しておきながら、それらを軽蔑し批判しているわけで、つまり彼の正義や道徳とは、その程度のものだったのです。

 だから一旦苦境に陥ると、正義や道徳は吹き飛んで、春道の中の醜い部分があらわになります。借金の取り立てが厳しくなった時、あれほど熱心に世話していた女生徒を、売って金に換えようとするのです。「堕ちるところまで堕ちた」とは、まさにこのことでしょう。
 
 (少し話はそれますが。昨今、「本当の自分を探す」とか「本当の自分に出会う」というような言葉をよく見聞きします。そして大抵の場合、そこで言う「本当の自分」には、「今の自分よりちょっとステキな存在」というニュアンスがあるようです。しかし実際には、「本当の自分」にブチ当たってみると思いのほか情けない人でガックリ、という場合も多いのではないでしょうか。)

※ここより先は、ラストシーンに軽く触れています。ネタばれOKな方はお読みください。

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『盗まれた欲情』

1958年 日本 監督:今村昌平 脚本:鈴木敏郎 出演:長門裕之、南田洋子、滝沢修、西村晃、柳沢真一、小沢昭一

 数日前に、シネマアートンの特集「はじまりの時」にて鑑賞。今村昌平の監督デビュー作。大阪・河内のドサまわり一座が農村滞在中に村人たちと繰り広げる、てんやわんやの人間模様が描かれています。
 
 主人公は大学出の若い演出家、国田。インテリでやや世事に疎い彼は、大衆演劇の一座に居ながら芸術的な舞台を志向しています。そしてそのための稽古を提案するも、一座の男優たちは女遊びに夢中。さらに村人のほうも、男たちは女優の尻を追いかけまわし、女たちは一座の公演を利用してがめつく金を稼いだり、男優に色目を使ったりと、欲望むき出しのやりたい放題。
 そんな状況に最初はウンザリしていた国田青年ですが、バイタリティあふれる人々の間で揉まれ、人妻女優との恋愛で苦悩するうちに、やがて自分の幼さや愚かさに気づき‥‥。

 実は私、昔から今村監督の作品がちょっと苦手です。今回この映画を観て、どういうところが苦手なのか改めてよく分かりました。
 ひとつは、性に対する感覚。たぶん今村監督は、人間の生命力と性的エネルギーを同種のものとして捉えていたのでしょう。「生命力の旺盛さと性欲の旺盛さは比例する」みたいな。どうも私は、こういう感覚が漂っている作品に接すると、やや引いてしまうようです。(余談ですが、ロマンポルノやピンク映画などあからさまに性を題材にした映画でも、こういう感覚を内包している作品とそうでない作品があり、私は後者の方が共感できます。)
 
 もうひとつは、村とか田舎の人々に対する認識。監督は彼らのことを「強くたくましくバイタリティあふれる人々」として描いていますが、私はこういう認識にもちょっと違和感があります。親族に山奥の村で育った者が大勢いて、昔の村の話をいろいろ聞かされた結果、私は村というものに対して横溝正史的な暗いイメージを持っているものですから。

 そういうわけで2重に苦手な今村作品なのですが、それでもこの『盗まれた欲情』はかなり面白かったです。苦手意識や違和感を持っている私でも、観ている間、作品世界にすっかり入り込むことができました。
 これはやはり、監督の演出が巧くて力強いからでしょう。特に、メインの登場人物だけでも相当な数なのに全ての人々がきちんと描き分けられているあたり、サスガだな~と思いました。また、青年が大人になっていく様子を、観念的な表現でなく具体的な描写の積み重ねで着実に見せていく手腕にも、感心させられました。
 
 調べてみると、この作品を撮った頃の今村監督はまだ32歳。この年齢でこういう映画を作れたのは、本人の才能だけでなく、当時の映画界のシステムがあったからでしょう。当時は映画会社で長いあいだ助監督を務めた人だけが監督になっていたので、若い新人監督であっても、既にプロとして映画制作のアレコレを熟知していたわけです。
 それに対して今は、極端に言うと誰でも監督になれます。初心者が仲間を集めてデジカメで撮った作品が、ちゃんとした劇場で上映されることもあります。それ自体は決して悪いことではありません。例えば「事情があって、映画制作の修業をしたくても出来なかった」という人でも監督デビューできるわけだし、そうやっていろいろな経歴の人が映画界に入ることによって、多様性も生まれるでしょう。ただ、技術や力量のない人がプロの監督になってしまう場合もあるわけで‥‥。
 
 こんなことをつい考えてしまったのは、同じ日に観た西村昭五郎監督のデビュー作『競輪上人行状記』(1963)が、やはり素晴らしかったからです。もちろん西村監督も、映画会社の助監督出身。さらに最近、澤井信一郎監督のインタビュー本を読んでいることも影響しているでしょう(澤井監督は東映で20年間も助監督をしていた)。
 あとはですねえ、最近観た自主映画出身監督の作品で、「チケット代が高いなあ(この半分くらいでいいんじゃないの?)」と思ってしまったものが何本かありまして。そんなわけで、監督の経歴についてふと考えてしまう今日この頃。これについては、そのうち改めて詳しく書きたいと思っております。

いろいろあります

今月の特集上映などで、私が注目しているものを簡単に紹介しておきます。

●「はじまりの時 12監督厳選 劇場デビュー作特集」
 シネマアートン下北沢にて、11月3日から11月30日まで。内容はタイトルの通りです。そして12監督とは、谷口千吉・今村昌平・西村昭五郎・吉田喜重・森崎東・村川透・大林宣彦・小栗康平・三村晴彦・山本政志・松岡錠司・冨樫森。
 私が特に観たいと思っているのは、今村昌平監督の『盗まれた欲情』と西村昭五郎監督の『競輪上人行状記』。西村監督は『団地妻・昼下がりの情事』などロマンポルノの監督として有名ですが、それ以前に、このデビュー作をはじめとする一般映画をたくさん撮っていました。ちなみに『競輪‥』の脚本には今村昌平が参加しています。

●「『国道20号線』公開記念特別企画 日本映画独立愚連隊特集!」
 アップリンクXにて、11月10日から11月22日まで。ここでいう「独立愚連隊」とは、柳町光男・松井良彦・矢崎仁司・井土紀州・七里圭・佐々木誠・前田弘二・富田克也。彼らは皆、個人あるいは少数のメンバーで制作・配給などを行う独立映画作家としてスタートした監督たちです。今回は、富田克也監督の新作『国道20号線』の公開を記念して、彼らの旧作を特集上映。
 私が特に観たいのは、松井良彦監督が『追悼のざわめき』以前に撮った『錆びた缶空』。『追悼‥』と同じく、佐野和宏が主演です。ちなみに『国道20号線』は、地方都市を舞台に借金づけの生活を送る若者たちが転落してゆく姿を描いた作品だそうです。「地方都市の荒廃」「格差社会」という点で、井土紀州監督の『ラザロ─LAZARUS─』と通じる部分があるのでしょうか。今回、『ラザロ』3部作の中の1本『朝日のあたる家』も上映されます。

●「スポーツする映画たち」
 シネマヴェーラ渋谷にて、11月3日から11月23日まで。柔道・野球・相撲・空手など、スポーツを題材にした映画を特集。最初にラインナップを見たとき「なんで『直撃地獄拳 大逆転』が入ってんの?」と思ったんですが、たぶん「空手映画」ってことなんでしょうね。かなり前に観たのでハッキリとは覚えてないのですが、千葉真一演じる主人公が甲賀忍者の末裔で、忍法のほかに空手も使っていたような記憶があります。珍妙な映画なので、「とにかく変なものを観たい」という方にはおススメ。私は『はみ出しスクール水着』を観に行こうと思っています。滝田洋二郎監督&高木功(脚本)のコンビ作なので。

●『鬼の花宴』
 銀座シネパトス他にて、11月3日からレイトロードショー。団鬼六原作のSM映画。製作・配給が新東宝で35mmのR-18作品ということは、「ピンク映画の新作を一般劇場で公開する」ということなのでしょうか? いずれにせよ、(こればっかり書いてますが)佐野和宏が重要な役で出演しているようなので、ちょっと興味を持っています。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

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