『ラッキー・ガイ』

1998年 香港 監督・脚本:リー・リクチー 出演:チャウ・シンチー、エリック・コット、ダニエル・チャン、サミー・チェン、スー・チー、ン・マンタ、サンドラ・ン 
(劇場未公開・DVDあり)

 ケーブルTVで放映された際に友人がビデオ録画してくれたものを鑑賞。エッグタルトが名物の飲茶店を舞台に、その店の従業員や店主の息子など、さまざまな人々の恋模様を描いたドタバタ・コメディです。
 
 主演はチャウ・シンチー。監督・脚本は、『0061/北京より愛をこめて?!』『食神』『喜劇王』『少林サッカー』など、多くのシンチー主演作を撮っているリー・リクチー。そしてプロデューサーは、香港バカ映画の帝王=バリー・ウォン。この3人が揃っているということは、すなわち「この映画はコテコテの喜劇である」ということを意味しています。実際、むさくるしいオッサンが女装姿で登場したり、かわいい女優さんがわざわざ変なコスプレをしたり、セリフの中にダジャレや下ネタが混じっていたりと、下品で垢抜けない笑いが満載(←褒めてます)。
 
 ちなみにシンチー主演といっても、作品内容が群像劇風なので、彼の単独主演ではありません。エリック・コット、ン・マンタなどいい味出してるメインの役者さんがたくさん居て、シンチーはその中の1人です。 

 さて、上の段落でなぜ「群像劇」ではなく「群像劇“風”」などと曖昧な表現をしたのかというと。この作品、「群像劇」と呼ぶには、ちょっと構成が散漫。いろんなカップルのエピソードが同時進行していくのですが、それらが大して絡み合うわけでもなく、てんでバラバラに描かれるのです。しかも最後にいきなり全てのカップルが、同じ場所で同じ結末を迎えます。強引ですねー。 
  
 しかし考えようによっては、この強引な展開自体がギャグなのかもしれません。バラバラに進んでいた事柄が急に都合よくひとつにまとまる、その不自然さもまたギャグ。まあ作り手側がそういう効果を狙ったかどうか分かりませんが、どっちにしても、この手のコテコテ喜劇は、欠点に見える部分もギャグだと捉えた方が楽しめるというものです。

 私は基本的にチャウ・シンチーやバリー・ウォンが関わっている映画が好きなのですが、それは多分、この垢抜けないセンスや強引な部分に惹かれるからでしょう。もちろん洗練された映画にも魅力を感じますが、でも、世の中からコテコテの映画が無くなって洗練された映画だらけになってしまったら、つまらないと思うのです。だってそれって、大阪のオバチャンたちが変なヒョウ柄の服とか着なくなって全員お洒落になってしまう、そんな感じですよ(ちょっと違う?)。
 大阪、で思い出したことがあるのですが、それは音楽に関する話題なので、引き続き別の記事として書くことにします。

『バニシング・ポイント』

1971年 アメリカ 監督:リチャード・C・サラフィアン 脚本:ギレルモ・ケイン 出演:バリー・ニューマン、クリーヴォン・リトル

 『デス・プルーフ inグラインドハウス』がきっかけで、久しぶりに昔のカー・アクション映画を観たくなりました。そこで、劇中のセリフにも出てきた『バニシング・ポイント』をDVDにて鑑賞。
 
 車の陸送を生業としているコワルスキー。彼はバーの店主と、「デンバーからサンフランシスコまで15時間で陸送する」という賭けをし、警察の追跡を振り切って猛スピードで走り続けます。盲目のDJ・スーパーソウルの協力もあり、順調に目的地へ近づいていくのですが、やがて警察の作戦も巧妙化していき‥‥。

 激しいカー・チェイスの連続。しかし撮り方や演出は非常に淡々としています。基本的に引きの画が多く、カット数も少なめ。いろいろな角度から寄りで撮って細かく編集すれば躍動感が生まれるのに、敢えてその逆を行っているのです。危険でスリリングなチェイスを、「何でもないこと」のように映し出すというか。その映像には、独特の寂寥感が漂っています。
 
 これは主人公の心情にも通じるでしょう。彼には、チェイスを楽しんでいる様子はありません。常に無口で無表情。そしてときどき、自らの暗い過去を回想します。
 そこには、夢の挫折や悲恋という個人的な要素に加え、ベトナム戦争や権力の腐敗など、当時の社会的な要素も深く影を落としています。最初にこの映画のことを「カー・アクション映画」と書きましたが、それ以上にやはり、「アメリカン・ニューシネマ」という呼び方が相応しい作品。
 
 全体の構成もちょっと変わっていて、内容的にはラスト・シークエンスに組み込まれるはずの描写が、いきなり冒頭にきています。これがまた独特の雰囲気を生んでいて、すでに冒頭から、ただ事ではない感じ。

 私は車に興味がないし運転もしないので、基本的に、車がメインの映画にはあまり感情移入できないのですが、この映画は別。コワルスキーの「旅」に引き込まれます。ただ、頻繁に観たいとは思いません。観ると悲しくなるので。

『洲崎パラダイス 赤信号』

1956年 日本 監督:川島雄三 脚本:井出俊郎、寺田信義 出演:新珠三千代、三橋達也、轟夕起子、芦川いづみ、河津清三郎、植村謙二郎 津田朝子、隅田恵子

 久しぶりに観直したくなって、DVDにて鑑賞。
 「洲崎パラダイス」とは、かつて東京・洲崎(現在の江東区東陽あたり)に実在した遊郭の名前。この映画は、売春防止法が施行される少し前の洲崎を舞台に、遊郭入口の飲み屋に集う人々の人間模様を描いています。
 かなりアッサリした薄味の映画で、私の場合、基本的にそういう映画にはあまり魅力を感じないはずなのに、不思議とこの作品には惹かれるのです。理由は多分、女性の描き方に好感が持てるから。

 まず、登場する女性たちのキャラクターが見事にバラバラであるところがいいです。
 ざっと列記してみると‥‥元娼婦の蔦枝は美人で色っぽく、何事にも積極的。蔦枝が働く飲み屋の女将さん・お徳は、地味でさっぱりした肝っ玉母さんといった感じ。近所の蕎麦屋で働く玉子は、若くてシッカリ者でそのうえ美人なのに、恋愛や男性にはさほど興味が無い様子。純情青年に愛されている娼婦の初江は、田舎っぽい素朴な雰囲気の少女。そしてお徳の夫の愛人は、恋愛にのめり込み過ぎている破滅型の女。    
 
 他にも、ストーリーには直接関係しないチラッと出てくるだけの女性たちが何人か居て、彼女たちも実にしっかりと描き分けられています。また、出演している女優さんたちの容姿も見事にバラバラで、例えば同じ美人と言っても、蔦枝役の新珠三千代と玉子役の芦川いづみは全く顔立ちが違うし、主役級から小さな役に至るまで、それぞれに特徴のある人がズラリと揃っています。
 
 とにかく約80分という短い上映時間の、ごく狭い地域だけを舞台にした映画で、これだけいろんなタイプの女性が鮮やかに存在しているのは、観ていて心地いいです。しかも先ほど書いたキャラクター説明はやや大雑把なもので、実際の人物造形はもう少し複雑。
 例えば蔦枝は一見、非常にちゃっかりした女で、甲斐性のない若い恋人を捨てて小金持ちの中年男にサッと乗り換えたりするのですが、最終的には決して「ちゃっかりしている」とは言えない選択をします。またお徳は、外見を飾ることに全く興味が無いような女性ですが、愛人と駆け落ちしていた夫が戻ってくると、少し化粧をするようになります。さらに素朴なはずの初江は、最後に謎めいた行動を取って青年を混乱させます。

 当然のことですが、ひと口に女と言ってもいろんなタイプの人が居るし、ひとりの女性の中にもいろんな面があるわけで。それを淡々と実感させてくれる‥という点で、私はこの映画が好きです。別の言い方をすると、「女は○○だ」と決めつけている映画は苦手なんですよ。その意味で、「女性は素晴らしい」的な感覚を前面に出している、女性賛歌のような映画も苦手です。
 
 ちなみに三池崇史やジョニー・トーなど、あくまでも男がメインで、ハナから女をきちんと描く気など無いゼ! という(風に見える)監督の映画は、いっそ清々しいと思います。けっこう好きです。妙な思い入れを持って描かれるよりも、最初から外されている方がいいですし。それと私を含め、「“男の世界”をビシッと描いた映画も好き!」という女性は、わりと多いような気がします。

『グラインドハウス』

『プラネット・テラー in グラインドハウス』 2007年 アメリカ 監督:ロバート・ロドリゲス 出演:ローズ・マッゴーワン、フレディ・ロドリゲス

『デス・プルーフ in グラインドハウス』 2007年 アメリカ 監督:クエンティン・タランティーノ 出演:カート・ラッセル、ゾーイ・ベル


 ちょっと遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
 
 さて『グラインドハウス』。去年、六本木ヒルズのシネコンで上映していた頃は、今ひとつ観る気がしなかったのですが、年末年始に三軒茶屋中央劇場でかかっているのを知り、先日観てきました。なにしろ作り手側が、70年代頃のB級2本立て映画を再現すべく、わざとフィルムに大量の傷を入れたりして仕上げた作品なので、小奇麗なシネコンではなく、なるべく古い劇場で鑑賞したかったのです。

 まず『プラネット・テラー』は、ゾンビに片脚を食いちぎられた女性ダンサーが、義足の代わりにマシンガンを装着して戦うホラー・アクション。メインの女優さんたちが皆、美人でスタイルが良く適度に下品という、作風に合った理想的なキャスティングで、なかなか楽しく観ることができたのですが、ひとつ気になったことがあります。それは、フィルムに傷を入れたりして昔風の映像を目指しているわりには、SFXやVFXが今風だということ。
 
 人間がゾンビに変化する過程の特殊メイクとか、ヒロインがピューっと空中を飛ぶカットの合成とか、巧く出来すぎているような気がします。そもそもヒロインが義足がわりにマシンガンを装着した姿が、いかにも現代のCG技術できれいに処理した感じ。どうせならこれら全てを昔の特撮風に、仕掛けがややバレているような状態にしてほしかったです。

 つぎに『デス・プルーフ』は、車を武器に殺人を重ねている男が、タフな女性グループに逆襲されるカー・アクション映画。最大の見せ場であるカー・チェイスのシーンでは、「危険なスタントを実行し、それを撮る」という伝統的な手法をかなり尊重したようで、CGなどの新しい技術が目立つこともなく、映像的には、昔のこの種の映画を彷彿とさせる出来栄えです。
 
 しかし構成の面では、B級とか70年代とかは関係なく、ひたすら「タランティーノ映画」。とにかく会話シーンが多いうえに長く、その内容は、仲間うちのダラダラしたお喋りがほとんど。しかも今回は前半と後半で別の女子グループが登場し、どちらも延々と喋りまくるという、ガールズ・トーク2連発! になっています。
 そのため観ていてやや退屈する部分もあるのですが、彼の過去の作品でも分かる通り、ダラダラした会話の中にもちょっとした伏線が仕込んであったりするので、まあそれなりに観ごたえ(聴きごたえ)はあります。
 
 こうなったらタランティーノには、ありとあらゆるグループのダラダラ会話シーンに挑み続けてほしいですね。今までのところ、喋るメンバーは若者や中年が多いので、今後は「老人グループの会話」とか「男子小学生たちの会話」とか、どうでしょうか。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

最新記事
カテゴリー
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

ブログ内検索
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
RSSフィード
リンク