『不在宴会 死亡記事の女』

2008年 日本 監督:榎戸耕史 脚本:西岡琢也 出演:三浦友和、平田満、田中好子、宇梶剛士、竜雷太、六平直政、中島ひろ子

 2つ前の記事で触れたTVドラマを、予定通り鑑賞しました。「水曜ミステリー9」という枠の単発2時間ドラマで、原作は松本清張です。
 
 主人公は、将来を約束されたエリート官僚の魚住(三浦友和)。あるとき福島に出張した彼は、仕事を終えたあと浮気相手のホステス・恵子(松本詩代)と会うため温泉宿に向かいます。
 ところが宿の風呂場で、彼女は何者かに殺されていました。保身のため、急いでその場から逃げ東京に戻る魚住。数日後、福島で案内係を務めた鶴原(平田満)が現れ、事件の日に宿で魚住を見たと言い、大金を要求してきます。そこで魚住は‥‥。
 
 正直言ってこのドラマ、観ていて少し戸惑いました。作品の中にシニカルな笑いの要素が含まれているような気がしたのですが、それが作り手の意図ではないような気もして、どう反応すればいいか分からなかったのです。
 
 例えば、魚住が自分の周囲の人たちを「恵子殺しの犯人では?」と疑うシーンの数々。彼は彼女が殺されてからというもの、その死を悲しみもせず、ひたすら保身を考えながら推理しまくるのです。
 まず自分と顔見知りである恵子の店のマスター(金山一彦)を疑い、次に自分のもうひとりの浮気相手である銀座のホステス(中島ひろ子)を疑い、そして自分の妻(田中好子)が愛人らしき男(宇梶剛士)に頼んで殺させたのではないかと疑います。しかも魚住はそういう疑いを持つと必ず、その人が恵子を殺している場面をこと細かに想像するのです(想像の内容はすべて映像として画面に登場)。
 
 そもそも犯人は魚住の身近な人物とは限らない(恵子が誰かにストーカーされていたとか色んな場合が考えられる)のに、やたらと自分に結びつけて推理・想像しまくるあたり、この男の極端な自意識過剰ぶりが見えて、何だか笑えます。というか、私は少しばかり笑いながら観ていました。しかしその一方で、「ここで笑っていいのかな?」という思いもありました。
 
 なぜならこれらのシーンは、特に滑稽な感じで演出されているわけではなく、むしろ深刻な雰囲気の劇判が流れたりしているからです。また、魚住の想像をすべて映像化するという手法自体、私は「彼の自意識過剰ぶりを強調する演出」と受け取ったわけですが、実際には恐らく演出というよりも、「視聴者に分かりやすく伝えるための配慮」なのです。
 夜の9時台~10時台に放送される2時間ドラマの場合、映画や深夜ドラマなどと比べると、はるかに幅広く大勢の人々に受け入れてもらわなければならないので、その種の配慮が要求されるはず。そう考えると、ちょっと複雑な気持ちになりました。
 
 さらにクライマックスで、魚住がうっかり余計なことを言って自ら墓穴を掘るシーンがあり、ここなども見方によってはシニカルな笑いのシーンとして受け取ることもできるのですが、演出が特にそういう感じでもないので、やはり笑っていいのかどうかよく分かりませんでした。
 
 ちなみにこのドラマ、ストーリー的にかなり後味のいい終わり方をします。主人公が今までの自己保身主義を捨てて新たに生まれ変わるというような、明るい終わり方なのです。そのこともあって、全体的に少々滑稽味のある演出の方がいいような気がするのですが、どうでしょう? 
 まあ2時間ドラマで松本清張が原作だと、深刻な雰囲気に仕上げなければならないのかもしれませんが、この主人公の極端な自意識過剰ぶりもその後の変化も面白いので、普通の深刻なドラマにしておくのは勿体ない‥と思った次第です。

 最後に、以前の記事で述べた「榎戸監督は男優の演出がうまい」ということについて。このドラマでは、どちらかというと三浦友和よりも平田満のほうが儲け役で、いい味を出していました。平田氏は昔から真面目な善人役のイメージが強いのですが、今回はそれと正反対の、女好きで軽薄でズル賢い役を好演。何でもできる人だな~と感心すると同時に、榎戸監督の男優いじり(?)の巧みさを改めて思いました。
 とにかくいろんな意味で、監督にはまた映画の世界でも活躍していただきたいです。

『台風クラブ』

1985年 日本 監督:相米慎二 脚本:加藤裕司 出演:三上祐一、工藤夕貴、紅林茂、松永敏行、大西結花、三浦友和、佐藤充、鶴見辰吾、尾美としのり、寺田農
 
 昔この映画を観た時は、作品全体の構造について特に考えたりしなかったのですが、先週久しぶりに観直してみて、やや独特な構造の映画だということに気付きました。どういう風に独特なのかというと、観客に対して普通なら詳しく説明するような部分をあまり説明せず、逆に普通ならあまり説明しないような部分を詳しく説明しているのです。

 まずこの映画には、全体を貫くような明確なストーリーはありません。内容を簡単にまとめてしまうと、「東京からそう遠くない地方都市の中学校を舞台に、台風が近づいてから去っていくまでの数日間の、生徒たちの不安定な姿を描いている」といったところでしょうか。
 
 中心になるのは、3人の生徒たち。優等生の恭一(三上祐一)、恭一と仲の良い理恵(工藤夕貴)、恭一と同じ野球部に所属する健(紅林茂)。彼らは皆それぞれ家庭の問題で悩んでいるように見えます。しかし具体的な事情は説明されません。
 例えば恭一は父親との間に確執があるらしいのですが、両親ともに画面には一切登場しないし、セリフによる詳しい説明もありません。理恵は母親に対して愛憎半ばするというか、屈折した気持ちを抱いているようですが、これまた両親は画面に登場せず、詳しい説明もありません。そして健も、親に対して複雑な思慕の念を持っているようなのですが、どうやらアルコールに依存しているらしい父親(寺田農)がチラッと姿を見せるだけで、それ以上の説明はありません。
 
 ところが、彼らの担任教師である梅宮(三浦友和)については、同棲中の恋人(小林かおり)やその親族たち(石井富子・佐藤充)までもが複数回登場し、個人的な事情が明らかにされます。 
 
 普通、映画やドラマなどで学校を舞台にして思春期の生徒たちを描く場合、どちらかというと生徒たちの悩みや事情を詳しく説明し、教師の個人的な事情にはあまり触れないものです(あるいは両方を同じくらい詳しく説明)。
 これはやはり、「何よりも生徒たちのことを観客に理解してほしい!」という作り手側の意図の表れでしょう。実際、そのような作品を観ると、劇中の生徒たちを「理解する」ことができます。
 
 しかしこの『台風クラブ』では、生徒たちの悩みや事情をあまり説明せず、教師の個人的な事情を詳しく明かしているわけです。さらにその上で、生徒たちの不安定な言動や、時には狂気じみた姿をも描いています。
 だから観客は、生徒たちを「理解する」ことはできません。「理解する」のではなく、漠然と、しかし強烈に「感じる」ことになるのです。理解できないからこそ途方もない奇妙な迫力を感じる、とも言えるでしょう。そして教師については、理解が可能なだけに、途方もない何かを感じることはありません。

 この映画を観ると、「大人と違って思春期の子供たちは、恐らく本人にも理解できない何かに振り回されて苦しんでいるのだ」という印象を強く受けます。その印象はひとつには、上に述べた独特の構造によるものなのでしょう。

三浦友和と榎戸耕史監督

 先日、シネマヴェーラでものすごく久しぶりに『台風クラブ』(1985)を鑑賞。いろいろなことを感じそして考えたので、ぜひ近日中にそれらを書いてアップしたいと思います。
 
 ひとつだけ先に書いておくと、この映画の三浦友和はやはり見応えあります! 当時、それまでカッコいい二枚目役の多かった彼が突然、口が悪くてダラ~っとした中学教師を見事に演じて話題になったわけですが、現在の彼の幅広い活躍ぶりを知ったうえで観ると、改めて「『台風クラブ』は役者・三浦友和の転機だったのだ」と強く感じられます。
 
 そもそもこの中学教師役、人物造形がとても味わい深いのです。授業中、生徒に対して数々の暴言を吐いているところに突如として恋人の母親と叔父が現れ、「娘に大金を貢がせた」だの「いつになったら結婚してくれるんだ」だのと、すごい剣幕で詰め寄られる彼。この時点では、いかにもいい加減で嫌な男風。
 しかしその後の展開で徐々に、実は恋人もなかなかに悪質で母親や叔父も胡散臭いということが明らかになってきます。要するにこの教師、いかにも他人を支配しそうに見えて、実は怪しげな人々に支配されようとしているのです。中途半端なワルなんてしょせん本格的なワルにとっては格好の餌食なのかもしれない、そんな浮き世の機微を象徴するかのごとき人物。
 この微妙な役を柔軟に演じた三浦氏の実力とともに、彼の意外な面を引き出した相米慎二監督の慧眼にも改めて感服しました。
 
 で、観た当日、上記のようなことを思いながら帰宅して夕刊を眺めていると、偶然にも三浦友和のインタビュー記事が載っていました。しかもその中に「『台風クラブ』が、役者としての転機になった」という言葉が。やはりご本人もそういう認識なのですね。そしてさらに彼は単発の新作主演ドラマについて語っているのですが、なんとそのドラマの監督が榎戸耕史とのこと。
 
 榎戸氏は相米監督の助監督を何度も務め、『台風クラブ』のときはチーフ助監督だったので、つまり、かつてスタッフとして三浦氏の転機に深く関わった人物が、今やベテラン俳優となった彼の主演作を撮ったわけです。榎戸監督といえば、『ありふれた愛に関する調査』(1992)で世良公則からいい味を引き出していたのが個人的に印象深いので、「男優の演出がうまい」というイメージもあり、普段TVドラマをあまり観ない私もこのドラマは録画して鑑賞する予定。
 放送は来週の水曜日(20日)、タイトルは「松本清張 特別企画 『不在宴会 死亡記事の女』」。詳しくは、こちらのサイトをどうぞ→http://www.tv-tokyo.co.jp/mystery9/

 この番組公式サイトで知ってちょっと感慨深かったのは、脚本が西岡琢也だということ。彼はいつの頃からかTVの世界で活躍するようになりましたが、昔は映画の脚本をよく書いていましたよね。『ガキ帝国』(1981)、『TATTOO<刺青>あり』(1982)、『丑三つの村』(1983)、『人魚伝説』(1984)などなど。相米監督の『ションベン・ライダー』(1983)の脚本にも参加していました。この映画の助監督も榎戸氏です。

あるテクノ歌謡の思い出

 前回の記事の続きです。大阪、で思い出したこと。かなり昔から活動している、「ミス花子」という芸名の男性シンガーソングライターがおりまして。『河内のオッサンの唄』の人、といえばお分かりになる方も多いのではないでしょうか。で、私は一時期(中学生か高校生の頃)、彼の『好っきゃねん』という歌が好きで、ラジオからテープに録音したものをよく聴いていました。
 
 どんな歌かというと、まあコミックソングです。ひたすら東京と大阪を比較して大阪を褒めたたえるという、わりとありがちな発想に基づいた歌なんですが、その比較の仕方が、「♪新宿のオカマよりもミナミのオカマのほうがテクニシャン~」とか「♪03よりも06のほうが数が多い~」といった絶妙にアホくさいもので、私のツボにジャストフィットしたわけです。花子氏のボーカルやメロディも、その歌詞とうまく合っていたような記憶があります。

 『好っきゃねん』、チャウ・シンチー、バリー・ウォン、その他もろもろ。どうも私は昔から、歌でも映画でも何でも、「やや下品で強引でコテコテなもの」に惹かれる傾向があるようです。自分が暗くなっているときでも、そういうものに触れると、ほんのひとときですが憂さを忘れることができるんですよ。いわゆる現実逃避ってやつですね。
 一般に、現実逃避型の作品は否定的に語られる場合が多いですが、私は評価したいです。人の心を現実から違うところへ連れて行くなんて、相当の技術やパワーがないと出来ることではないですよー。「現実について深く考えさせる作品」と「現実から逃避させる作品」、どちらも同じくらい偉大であるような気がします。

 ところでこの歌について検索していたところ、『テクノ歌謡コレクション:ポニーキャニオン編』(Pヴァイン)というコンピCDに収録されていることを発見。え、テクノ歌謡だったっけ? ピコピコしてたっけ? 実はアレンジはよく憶えていないのです。ぜひそのうち入手して、聴いてみたいと思います。
 このCD、ムーンライダーズのメンバーや大瀧詠一、細野晴臣らが手掛けた曲も入っていて、聴きごたえありそうな予感。コテコテ趣味とはまた別に、そのあたりの音楽も好きなのです。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

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