『現代ポルノ伝 先天性淫婦』

1971年 日本 監督・脚本:鈴木則文 脚本:掛札昌裕 出演:池玲子、三原葉子、宮内洋、小池朝雄、北村英三、遠藤辰雄、渡辺文雄、サンドラ・ジュリアン 

 前の記事に書いた『伊賀野カバ丸』と2本立てで鑑賞。なかなか強烈で面白かったです。こちらはカバ丸と違い全くの初見で、しかもあまり予備知識を入れずに観たせいもあり、軽い衝撃を受けました。特に強烈だったのは、サンドラ・ジュリアン出演部分。
 
 この映画、基本的には「若く妖艶な女・由紀(池玲子)が、母(三原葉子)と自分を陥れた富豪の松村(遠藤辰雄)たちに復讐する」というストーリー。さらに松村の息子・洋一郎(宮内洋)と由紀が偶然出会って、互いの事情を知らないまま惹かれ合い‥‥という恋愛物語が絡みます。
 サンドラが演じるのは、洋一郎の元恋人・サンドラ(芸名がそのまま役名になっている)。そしてこのサンドラの描写が、ものすごく唐突なのです。

 まず由紀と洋一郎が出会って親しくなっていく過程では、洋一郎のプロフィールとして、建築家であることと、過去にフランスに留学していたことだけが語られます。つまりこの段階では、由紀も観客も、彼の女性関係については何も知らないのです。
 
 そしてある時、洋一郎が仕事で京都の旅館に滞在することになります。妙に高級な、一泊かなりするよな~という感じの部屋に泊まっている彼。そこへ由紀から電話が。彼女はベッドに横たわって異様に色っぽい声で、受話器に向かって語りかけています。「洋一郎さん‥‥今すぐにでも会いたいの‥‥明日京都に行くわ‥‥」。
 次の日、洋一郎の部屋に旅館の女将が現れ、客が来たことを告げます。しかもその客は「きれいな方」だと。観客としては、由紀だと思いますよねえ。ところが洋一郎が玄関に出てみると、そこに立っているのは、なんと白人女性。彼らは互いの名を呼び合います。「よーいちろーさん!」「サンドラ!」
 
 それから2人は手なんかつないじゃったりして、楽しそうに京都の観光地を巡ります。で、2人の会話によって、彼らはパリ大学で共に学ぶ恋人同士だったことが明かされます(会話はすべてフランス語で日本語字幕つき)。サンドラは洋一郎とヨリを戻したくて来日したわけです。
 
 そして由紀登場、サンドラとご対面。火花散りまくり! 「三角関係」という言葉をそのまま映像化したような画面が続くなか、洋一郎に突然、急用が。どうしても今すぐ行かなければ! と倉敷へ出かけてしまいます。残された女2人。
 どうなるのか、とハラハラしながら見守っていると、サンドラはさっさと布団に入って寝てしまいます。そしてなぜか、刺青だらけの日本の男たちに犯される夢を見ます。おもむろに起き上がるサンドラ。シャワーを浴びながら由紀を挑発し、やがて2人の女は‥‥レズります。
 
 観ているときは何だかよく分からなかったのですが、これはつまり、「サンドラが刺青男の夢でムラムラする→由紀も洋一郎への思いでムラムラしていた→ムラムラ同士が合体!」ということみたいですね。結局サンドラは由紀に洋一郎を譲り、フランスに帰ります。そして以降、サンドラに関する描写もセリフも全く登場しません。

 すでにお気づきのように、このサンドラ出演部分に関して、激しく奇妙な点が2つあります。まずひとつは、「この部分だけ取って付けたみたいだ」ということ。前後の流れには「サンドラ」の「サ」の字も無いですからね。そしてもうひとつは「レズ・シーンが意味不明」。いくらムラムラ同士だからといって何も恋敵とレズらなくても、と思うわけです。
 
 なぜこのように奇妙な現象が2つも起きてしまったのか。いわゆる「製作上の都合」だろうな、というのは漠然と推測できます。監督の意図とは別に、会社側からアレコレ指図されたとか。で、ちょっと調べてみると、ありました。そのあたりの事情について監督自身が語っている記事が。『映画秘宝』2008年6月号の鈴木則文インタビュー。
 
 それによると、準備段階ではサンドラが出演できるかどうか分からなかったので、もしできなくても作品が成立するように、出演部分を取り外し可能な内容にした‥‥ということのようです。
 またレズ・シーンについては、サンドラと池玲子が共演するにあたって宣伝になるシーンを入れなければならなかった、と。これに関してハッキリとは語られてないので断言はできませんが、どうやら会社側から具体的な指示があった模様。

 映画というのは、こういう裏事情に左右されることが非常に多いメディアです。もちろん小説やマンガでも、出版社からの指示などで作者の意図と違う内容になることはあるようですが、映画(特に実写の商業映画)の場合、さらに出演者の都合・ロケ地の都合・予算の都合といったものが次々に影響してくるから大変。
 多分どの国の監督も皆、よほどの巨匠でない限り、これらの「都合」と闘っているのでしょう。また中には、「都合」をうまく作品に取り入れて効果を上げる人も居るでしょう。
 
 先述のインタビューによると、則文監督はこの『先天性淫婦』には満足していないようで、それは当然のことだと思います。しかしこの映画が色々な「都合」に影響された結果、意図的には作れないような強烈なものを放っているのは事実。
 また、会社側からの無理な要求を敢えて大胆に取り入れ、奇妙な面白さを作り出した監督の力量はさすがです。そういう要求に対してはやはり、完全に拒否して降りるか、逆に大胆に受け入れるかのどちらかがいいのでしょうね。中途半端に受け入れた場合は、単なる「訳の分からない映画」になってしまうような気がします。

 ところで、ここまでの文章と関係ないですが、洋一郎役がアオレンジャー(宮内洋)なのも何だかよかったです。端正でちょっとキザな二枚目っぷりが役柄にぴったり。
 あと、この映画で久しぶりに「コンツェルン」という言葉を聞き、懐かしかったです。昔のマンガや映画などでは、富豪が経営してるのって大抵「コンツェルン」でしたよね。今ではすっかり死語ですが。

『伊賀野カバ丸』

1983年 日本 監督・脚本:鈴木則文 脚本:志村正浩、長崎行男 出演:黒崎輝、真田広之、高木淳也、武田久美子、森永奈緒美、朝丘雪路、大葉健二、千葉真一

 2週間ほど前にシネマヴェーラにて鑑賞。亜月裕による同名の少女マンガの実写化。ちなみに私、この原作マンガは小学生のころ読んでいて、けっこう好きでした。
 ストーリーは、山奥で忍者として育てられたカバ丸(黒崎輝)が、東京の名門校・金玉(きんぎょく)学院に入学し、同級生の麻衣(武田久美子)や生徒会長の沈寝(真田広之)を巻き込んで騒動を繰り広げる‥‥というもの。
 
 実はかなり前にビデオで観ていたのですが、真田広之のヅラ&メイクが強烈すぎて他の要素に関する気憶が薄れていたので、感覚的には初見に近いです。そして今回、劇場で観直してつくづく思ったのは、この映画はデカい画面で観るべきだ、ということ。全編にわたって、生身の激しいアクションが満載なので。
 
 しかもそのアクションを、吹き替えのスタントマンではなく、メインの俳優たちが自分でこなしているのが特徴。黒崎輝・真田広之・高木淳也・大葉健二など、当時のJACを代表する俳優陣が、きちんと役柄を演じながら高度なアクションに挑んでいます。
 特に凄いのは大葉氏。「一見コワモテなのにオネエ言葉で喋る番長」という不思議なキャラになりきったうえで、クライマックスのカーロデオのシーンでは、車ごと海へダイブしつつ運転席から脱出するという、危険なアクションを見事に成し遂げています。また黒崎氏はお調子者の役なので、おどけた表情や仕草をずっと演じているわけですが、それをやりつつ高所から飛び降りるなど、人間離れしたパフォーマンスを次々に披露。もちろん真田氏や高木氏も、それぞれ見せ場があってカッコいいです。
 
 あ、「カッコいい」と書きましたが、真田氏のヘアメイクは別ですよ。彼の場合、殺陣などのアクションは当然カッコいいものの、ヅラ&メイクはやっぱり変。なにしろ腰まで届きそうな長髪のヅラを装着し、必要以上に白いファンデーションを塗ってますから。眉毛も凄い。自毛を剃って(塗りつぶして?)線みたいに細い眉を描いてます。
 これ、マンガをそのまま実写化することに拘りを持っている則文監督からの命令だったのか、真田氏自身の意欲的な役作りだったのかは不明ですが、確実にやり過ぎ。「女生徒たちの憧れの的」という役柄でありながら、完全に不気味キャラになってます。面白いから、個人的には好きですけど。

 ところでこの映画、人気少女マンガの実写化であるとともに、JACの若手3人組(黒崎・真田・高木)をアイドルグループ的に売り出すための企画でもあったのでしょう。主題歌『青春まるかじり』を、彼ら3人で歌っています。しかも作詞は阿久悠。「♪イート・ザ・青春!」というサビの歌詞が、タイトルの中途半端な英訳になっていてイイですね。
 
 そして一緒に「♪青春!」と歌っていた彼ら、その後は完全に別々の道を歩んでいます。
 真田氏はずっと俳優を続けていますが、黒崎氏は若いうちに芸能界を去り、沖縄でダイビングのインストラクターに転身。ずいぶん前にテレビで、彼の引退後の生活を紹介する映像を観ました。現在も沖縄で活躍中のようです。そして高木氏。彼も引退しましたが、裏社会を取材するジャーナリストなどさまざまな仕事をしつつ、近年は徐々に俳優業に復帰している模様。
 そういえば高木氏は以前某サイトで、JACを辞めた理由として内部事情を暴露しておりました。彼の場合、ドラマや映画でメインの役を演じている時でも給料が激安だったり、いろいろあったそうで‥‥。
 とまあ、これらの情報を知ったうえで今回改めて観たので、いろんな意味で感慨深かったです。千葉真一が、カバ丸と疾風(高木氏の役名)をしごきまくるスパルタ師匠の役で出ていたので、尚更。

 だんだん話がズレましたが、とにかくこの『伊賀野カバ丸』は「JACの映画」だと思います。たしかに則文監督らしいセンスが随所で光っているものの、それよりも更にJACの存在が前面に出ているというか。監督が、「彼らのアクションを面白く見せること」にとても力を入れているような気がするのです。
 
 例えばオープニングのタイトルバック映像。山奥から出てきたカバ丸が金玉学院にたどり着くまでの道中の様子を、「ローラースケートでジャンプして車を跳び越す」などさまざまなアクションを織り交ぜて描き、黒崎氏の快活さと運動神経の良さを数分間で上手く紹介しています。
 冒頭部分にこういう映像があると、「この先もっと凄いアクションが出てくるかも!」と観客の期待は膨らみますよね。そして全編を通じて、その期待に応えているわけです。

 最後に余談ですが、「JAC」と何度も書いているうちに、ある映画のことを思い出しました。81年製作で、千葉真一・真田広之・秋吉久美子が主演した『冒険者カミカゼ』(監督:鷹森立一)。千葉ちゃん&真田さんの華麗なアクションが楽しめる映画です。でも私にとっては、珍作・怪作。
 
 とにかくかなり前に、今は無き「自由が丘武蔵野館」で観て爆笑しました。ストーリー的にも変な箇所が多いのですが、千葉ちゃん&真田さんのアクションも華麗すぎて変。特に、それまで不仲だった2人が初めて意気投合するシーン。その気持ちを表現するために(?)マンションの室内で、一緒に体操競技風のアクションを繰り広げます。それ自体ちょっとどうかと思うのですが、しかもこのアクション、あまりにも2人の動きがピッタリ合いすぎていて、「初めて意気投合」したようには全く見えません。
 
 そんなわけで『冒険者カミカゼ』、きちんと観直してブログに書きたいのですが、滅多に上映されないしビデオも見つからないので、果たせないでいます。

『映画時代 創刊準備号』

編集・企画・制作:活檄プロダクション(河田拓也、膳場岳人、佐藤洋笑)
公式ブログ→http://eiga-jidai.seesaa.net/

 前回の記事の続きです。新雑誌『映画時代』今号の特集は、「神代辰巳×萩原健一」。最近のいくつかの記事で書いてきたように、私は神代監督やショーケンのファンではないし、彼らに対して特別な思い入れもありません。では何故この雑誌を読んだのかというと、いろいろありますが、ひとつには高田純氏のインタビューが載っているから。
 高田氏は、『恋文』と『離婚しない女』で神代監督と組んだ脚本家。で、『恋文』は置いといて、ここで問題にしたいのは『離婚しない女』。これ、私にとってはどうにも理解不能な映画なのです。たしか5年くらい前にシネマアートンで観て、「何じゃこれ?!」。かなり唖然としました。
 
 ショーケン演じる男と倍賞姉妹演じる2人の女による三角関係。しかしその女たちが2人とも、妙に自己愛が強く子供っぽいキャラクターで全く魅力が感じられず、なぜ男が彼女たちの間で揺れ動くのか、私には理解できなかったのです。
 というか、監督が彼女たちをそういうキャラクターとして認識している気配が無く、むしろ「愛すべき女たち」として認識しているようにも見え、作品と自分との間に大きな溝を感じました。もっとハッキリ書くと、シリアスなタッチの映画なのに、観ながら思わず笑ったり、心の中でツッコミを入れまくったりしていました。

 そんなわけで、神代監督が亡くなって10年以上経った今、「脚本家の方がこの映画についてどう思っているのか、制作の裏話も含めいろいろ書いてあるかも」と興味をひかれてインタビュー記事を読んだのですが‥‥。
 ない。全くと言っていいほど語られてない。『恋文』については、脚本執筆時の監督とのやり取りやラストシーンの見方などについて、具体的に語られているのに。そもそもインタビュアーの方(河田拓也氏)からして、『離婚しない女』に関する質問を一切してないんですよね。
 
 や、まあ、もしかしたら、実際には質問も答えもあったのに紙面構成の都合でカットしたのかもしれませんが。それにしても、ちょっと不自然なのではないでしょーか。例えば、コンビ作5本のうち1本についてだけ言及が無い、というのならまだ分かりますが、全部で2本しかないのにそのうちの1本について言及ナシとは。
 読み終わって、「高田氏は『離婚しない女』について語るのがイヤなのかなあ?」などと余計なことを考えてしまいました。また、河田氏は別の記事でこの映画についてやや批判的なレビューを書いているので、それならば尚のこと、高田氏に批判や疑問をぶつけてほしかったです。

お知らせ

●しばらく多忙なため、来週(11日くらい?)にならないと更新できないと思います。
●本当は今週前半のうちに『映画時代』創刊準備号の読後感想を書こうと思っていたのですが、時間がなくて出来ませんでした。とりあえず、ひとつだけ短くメモしておくと、池島ゆたか氏(1948年生まれ)のインタビューが面白かったです。彼はピンク映画の監督&俳優として有名ですが、一時はロマンポルノやAVにも出演していて、しかも元々は演劇青年。寺山修司のところにいたり、児童演劇をやっていた時期もあるそうです。何だか凄いなあ。

『アフリカの光』

1975年 日本 監督:神代辰巳 脚本:中島丈博 出演:萩原健一、田中邦衛、桃井かおり、高橋洋子、藤竜也
 
 前の記事に書いた『青春の蹉跌』と、同じ日に同じ劇場で鑑賞(といっても2本立てではなく各回入替制)。要するに、シネマアートン下北沢で行われていた特集上映「ショーケンが好きだ!」の中の2本を観たわけです。
 
 ちなみに私はショーケンのファンではありません。や、嫌いなわけではないですよ。いい俳優さんだと思います。でもあまり好みではないし、個人的な思い入れも無いのです。ただ今回の2本を立て続けに観て、特別な資質を持った俳優さんであることは改めて感じました。

 両方とも、神代辰巳監督の作品。神代監督といえば、長回しで俳優にダラダラした動きをさせることで有名ですが、この演出とショーケンの演技が実によく馴染んでいるのです。
 例えば、同じ神代監督の『棒の哀しみ』に主演した奥田瑛二は、ちょっとした仕草に至るまで非常に繊細な演技をしていたのですが、そこには「工夫」や「緻密な計算」といったものが感じられました。それに対してショーケンの場合、本当はある程度計算して演技しているんでしょうけど、そうでなく、まるで無意識に何も考えずに動いているように見えるのです。この違いは演技力云々というよりも、資質や持ち味の違いなのでしょう。

 『青春の蹉跌』も『アフリカの光』も、その無意識風の長回し演技が堪能できますが、特に『アフリカ~』は凄いです。ほとんど彼のダラダラぶりを鑑賞するための映画。なぜって、あまりストーリーが無いから。
 『青春~』の場合、骨格としては古典的で分かりやすいストーリーがあるわけですが、『アフリカ~』はかなり曖昧模糊とした世界。

 ショーケンと田中邦衛演じる2人組が「アフリカ行きの船に乗りたい」と北国の港町で粘るだけで、その理由も2人の関係も説明されません。そして田中邦衛は途中で画面から姿を消します。そうするともう、ショーケンの独壇場。たばこの煙をシュッ・シュッ・ポッ・ポと汽車のように吐き出したり、時報に合わせてオナラ(!)をしたり、何だか演技というよりも本当に暇つぶししているような感じ。
 
 彼はこういう「生きていること自体が暇つぶし」とでも言いたげな人物が似合います。『青春~』でも、やり方によっては「野望のために突き進むギラギラした男」になりそうなキャラクターを演じているのに、結果としてスクリーンに映っているのは、「全てがどうでもいいと思っているような男」なのです。『アフリカ~』ではそれに鮮やかな稚気が加わり、「諦感&稚気」という珍しい組み合わせを体現。余人には真似のできない境地に到達しています。
プロフィール

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。

最新記事
カテゴリー
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

ブログ内検索
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
RSSフィード
リンク