私事で難問が多く‥‥って、この言葉、今年の初めごろにも書きましたなあ。で、あとから消したような。まあとにかく現在も、ウウムと考え込むような問題が多く、ブログの更新はやや滞っております。ただ、少しですが映画を観たり本を読んだりはしているので、それらについて近々書こうと思っています。
 今読んでいる小説は、タイトルに「秋」が付きます。だいぶ涼しくなったしもうすぐ9月だし、最近感じていることに関連した内容の小説なので、改めて再読中。

※追記‥‥「最近感じていること」というのは、冒頭の「難問」とはまた別の次元のモヤモヤです。念のため。

『片腕マシンガール』

2008年 アメリカ 監督・脚本:井口昇 出演:八代みなせ、亜紗美、島津健太郎、穂花、西原信裕、石川ゆうや、川村亮介、デモ田中、菜葉菜、諏訪太朗
池袋シネマ・ロサ、シネマート心斎橋などで上映中  
公式サイト→http://www.spopro.net/machinegirl/

 数日前に、シアターN渋谷にて鑑賞。このブログで何度か言及してきた井口昇監督の新作。今回の作品は、撮影場所やスタッフ・キャストの面では「日本映画」と言えそうですが、アメリカの会社が100%出資しているため「アメリカ映画」となっています。
 
 内容は、ひとことで言うとタイトルどおりで、失くした片腕の代わりにマシンガンを装着した少女・日向アミ(八代みなせ)の物語。
 なぜ片腕を失くしたのか。弟・ユウ(川村亮介)をいじめ殺した主犯である木村翔(西原信裕)に復讐しようとして、翔の両親(島津健太郎・穂花)から残虐な拷問を受けたから。なぜマシンガンを装着したのか。息子・タケシを翔に殺され、アミと共に闘う決意をしたミキ(亜紗美)の夫・スグル(石川ゆうや)が、精魂こめて作ってくれたから。そして、木村親子に復讐するため。

 この作品では、「いじめによる殺人」「被害者遺族の復讐心」など、普通ならシリアスな社会派映画で扱う題材を、あえて娯楽映画の枠組みで描いています。アメリカ資本なので残酷描写の規制が少ないこともあり、銃は乱射するわ、血しぶきは大量に飛び散るわ、人体はバンバン切断するわで、アクションやスプラッターの要素が満載。
 また、木村親子の手下(デモ田中)が拷問で顔に釘をたくさん打たれ、『ヘルレイザー』状態で「こいつはキツイわ~」と呑気に感想を述べるなど、コミカルな箇所も多数。さらにはアメリカ側からの要請で、現代劇なのに、忍者と手裏剣と(絵に描いたような)ヤクザという、「おいおい」ってな感じの日本描写もしっかり入ってます。スシやテンプラも派手に登場。
 
※以下の文章では、映画の結末に少し触れています。

 というわけで、いわゆる「ふざけた映画」っぽいですし、実際に観てそう思う方もいるでしょう。しかし私はこれ、かなりシビアな映画だと思います。シリアスというよりも、シビア。
 なぜならまず、悪役が最後まで全く改心しないから。卑劣ないじめを繰り返す翔にも、彼を溺愛する両親にも、後悔の念や良心の呵責など一切ありません。いくらアミやミキが悲壮な決意で激しい怒りをぶつけても、木村親子の態度には全く変化ナシ。
 多分、日本のある程度メジャーな会社の映画やTVドラマだったら、こういうストーリーの場合、親子3人のうち誰かが少しくらいは改心するでしょう。「若者や子供に希望を託す」という意味で、親たちはダメだけど息子にはささやかな変化が‥‥とか。しかし『片腕マシンガール』には、そういう展開はありません。

 もうひとつシビアだと思ったのは、「いじめる側の親たち」の描き方。翔と一緒にいじめをしている少年で警察一族の息子が居るのですが、彼の親も翔の親と同じく、我が子だけが大事。つまり、よその子や他人は、どーでもいい。我が子がよその子をいじめようが殺そうが、ひたすら我が子をかばい、守る。そして我が子が殺した少年の姉である少女に対し、激烈な暴力をふるう。
 こういう親たちの言動が極端に誇張された形で描かれていて、ほとんどギャグになってはいるものの、真面目に捉えるとやはりシビアだなあ、と。またその親たちが、何度も「子どもを守る!」とか「家族を守る!」というようなセリフを言っていたのも印象的。一般的には美しいとされているこの種の言葉が、非常にドス黒いものとして聞こえました。
 
 観ていてチラッと思い出したのが、ずいぶん前に読んだ本(切通理作氏がウルトラマンの脚本家たちを論じた『怪獣使いと少年』)に載っていた、市川森一氏の発言。市川氏は幼い頃に実母と死別して継母に育てられ、その継母は、自分の実の子だけを愛し、市川氏を一貫していじめぬいたそうです。そういう歪んだ愛について、市川氏は次のように語っています(長い発言からの抜粋)。
 「実の子への愛と、他人の子への憎しみ。それが一人の人間のなかに平気で共存するということ」。「愛がすべて美しいと思ったら大間違いなんですよ」。これらの言葉を思い切り戯画的に映像化すると、『マシンガール』のようになるでしょう。

 この作品は基本的に娯楽映画なので、上記のようにあれこれ考えるのは野暮だとも思います。しかし私は井口監督の作品を観るといつも必ず、楽しく笑うとともに深刻な気持ちにもなるのです。
 今気づいたのですが、私は以前『恋する幼虫』について書いたときにも、「シビア」という言葉を使っていますねえ。いや本当に、井口作品に漂う人生観・人間観はシビアだと思いますよ。彼のあのSDキャラのようなホノボノした外見の裏には、かなり冷徹な思考が存在するのではないでしょうか。

お盆。

 前の記事で高田渡氏について書いていて、ふと思い出したのが“ロウガンズ”。高田氏が一時期、参加していたバンドの名前です。他のメンバーは、泉谷しげる、鈴木慶一、どんと。そう、どんと氏も今は故人です。彼は高田氏よりもさらにずっと若い年齢で、亡くなりました。
 そんなことをうっすらと考えているうちにお盆の時期になり、そのせいか、自分の身近で早世した人たちのことを頻繁に思い出すようになりました。私の周囲には、若くして病死した人がとても多いです。特に私が20歳くらいの頃、何かの間違いではないかと思うほど、まだ若い親族・友人・知人が次々に亡くなりました。

 おそらくその経験が一因なのでしょうが、当時の私は時折、著しく冷静さを欠いた状態になっていました。基本的には暗く沈んだ気持ちで生活していたのに、ときどき異様にはしゃいだり、過剰に感情的な言動に走ったりしていたのです。
 その状態は病的というほど酷くはなかったものの、やがて少しばかり自分の中に根付いてしまいました。だから未だに私は自分に関して、「冷静か? 感情に引きずられてないか?」ということを、普段から気にしています。態度だけでなく、感じ方や考え方に対しても。ただ情けないことに、気にしていながら制御できない時もあります。

 そんなわけで、このブログの文章を書くときも、「感情に引きずられてないか?」と自分に問うています。そして、なるべく論理的に書くよう心がけています。特に、作品に対して批判的な文章の場合は、各作品の支持者や関係者の方々にも幾らかは納得していただけるような、論理性を意識しているつもりです。ただ残念ながら、そういう方々からご意見をいただいたことが無いので、実践できているかどうかは不明ですが。

『酔客万来』

正式タイトルは『酔客万来 集団的押し掛けインタビュー』
2007年発行 編集:酒とつまみ編集部 インタビューされている人:中島らも、伊崎脩五郎、蝶野正洋、みうらじゅん、高田渡
『酒とつまみ』公式サイト→http://www.saketsuma.com/

 あっついですねー。これだけ暑いと、世の中の呑み助さんたちはきっと「暑さ」を言い訳にして、ビールやらホッピーやら発泡酒やら、とにかく冷やし系のお酒をガバガバ飲みまくっていることでしょう(私もちょっとだけ‥‥)。そんなわけで、今回は「酒に関する本」をご紹介。映画とは関係ありません、多分。
 
 さて、まず私の好きなミニコミ誌で『酒とつまみ』というのがありまして。内容はまあタイトルのとおりで、ひたすら「酒」と「つまみ」を語る雑誌。といっても、酒に関する気の利いた蘊蓄や、洒落たお店を紹介する記事などは載っていません。では、どんな記事が載っているのかというと。
 例えば「酒飲み川柳」という連載コーナー。読者が酒飲みの実態や心境を川柳で表現して投稿し、編集部が「今号の一席」を選んでおります。最新号の一席は、「俺はゲロ 青空球児は ゲロゲーロ」。他の作品には、「立ちションの はずがズボンの 尻濡らす」なんていうのもあります。
 
 だいたいお分かりかと思いますが、この雑誌、全体的にゲロや下痢の話題が多いです。あと、「痛風になった」とか「γ-GTPの数値が異常に高い」などのフレーズも頻出。とにかく、酒飲みのバカな部分をかき集めたような雑誌です。編集者も読者も飲兵衛で、酒による失敗や体調不良が多く、そんな自分たちをバカだと認識したうえで楽しんでいる感じ。

 その『酒とつまみ』誌の名物連載「酔客万来」の、創刊号から第5号までの掲載記事に加筆して単行本化したものが、『酔客万来 集団的押し掛けインタビュー』。内容はこれまたタイトルどおりで、酒好きの著名人に編集部の面々が飲み屋でインタビューしたもの。もちろんアルコールまみれなので、インタビュー本というよりも「宴会の詳しい記録」みたいになっています。
 
 登場する著名人は、中島らも、伊崎脩五郎、蝶野正洋、みうらじゅん、高田渡(掲載順)。ご存じのように、最初と最後のお2人は、昼間の早い時間から飲み屋で目撃されることにかけては西と東の両巨頭だった、そして共に50代で亡くなった方たちです。そんなわけでやはり、らも氏と高田氏のインタビューは特に印象的。
 
 例えば、らも氏は最初ほとんど喋らず、手が若干震えているような状態なのに、酒がすすむと次第に饒舌になり、手の震えも無くなります。これはつまり‥‥ってことで、読んでいて何とも言えない気持ちに。
 また高田氏はトリなので、彼のインタビューの幕切れが本自体の幕切れになるわけですが、この部分は読んでいてウルッときます。発言も、締めの文章も、そして写真も。あえて詳述はしませんので、興味のある方は是非ご一読を。
 
 お2人に関しては、どうしても「若いうちに亡くなった」という事実を意識してしまうので、やや感傷的な読み方になってしまいますが、しかし『酒とつまみ』編集部が作った本だけあってバカ話もガンガン登場。基本的には楽しく読めますよ。らも氏も高田氏も、実に明るく面白く、その種の話をしてくれています。
 先ほど高田氏のインタビューの幕切れが云々、と書きましたが、これも一旦シリアスに終わったかに見えて最後の最後にまた○○話が出てくるという、『酒つま』らしい構成になっています。

 ところで、いかにも文科系な著名人が並ぶ中、なぜプロレスの蝶野氏が登場しているのかというと。なんと『酒つま』の編集長と蝶野氏は、中学校の同級生だったとか。そんなわけで、中学時代の思い出から有名レスラーの裏エピソードまで、多彩な話に花が咲いています。ちなみにこの本では、ゲストが何をどれくらい注文したかということも、かなり細かく書かれているので、プロレスラーがいかによく飲みよく食べるかが具体的に分かります。
 
 つぎに伊崎氏。彼は‥‥やたらと下痢の話をしています。ご本人いわく、「軟便友の会」の会長だそうで。ハア~。このインタビューを読むまで、こんな変な人だとは知りませんでした(←呆れながらも褒めている)。
 そしてみうら氏は、「京都って、ビンビンじゃない半勃ちの男たちが楽しむ街なんですね(中略)“はんなり”っていう言葉があるでしょ。あれはね、半勃ちのことなんだ」などと、お得意の屁理屈系エロ・トークを披露。さらに彼、『酒とつまみ』の見た目について「全ページ白黒の『月刊住職』みたいな雑誌」と言ったりして、さすがに比喩表現が巧いです。

 総評。いわゆる無頼派気取り(“酒飲みな自分”にウットリしているような人)でなく、ただ単に「酒が好き!」な人たちが登場しているところが、この本の美点だと思います。

『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0』

2008年 日本 監督:押井守 脚本:伊藤和典 声の出演:田中敦子、大塚明夫、山寺宏一、仲野裕、大木民夫、榊原良子        
新宿ミラノ、渋谷TOEI2などで上映中

 1週間ほど前に新宿ミラノにて鑑賞。1995年に封切られた『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』のニューバージョン。オリジナル版は封切の頃に何回も観ました(押井守監督の映画はけっこう好きなのです、特にこの『攻殻』シリーズと『パトレイバー』シリーズ)。今回は映像の一部と音響を作り直したバージョンなので、脚本はオリジナル版とほぼ同じ。

※以下の文章では、漠然とネタばれしています。

 現代よりもさらに通信ネット技術が発達し、人間の体も電脳化・義体(サイボーグ)化されつつある近未来、アジアの某企業集合大国。この国に、多数の容疑で国際手配中の謎のハッカー≪人形使い≫が現れる、との警告が。対策に奔走する政府非公認の特殊部隊、公安9課・通称≪攻殻機動隊≫。
 やがて捕獲された人形使いの自己保存プログラム(つまり人間ではない)は、一生命体として政治的亡命を希望し、さらに攻殻機動隊のリーダーで完全な義体と電脳を持つ女性・草薙素子に「融合」を申し出る‥‥。
 
 未見の方には「??」だと思いますが、分かりやすく説明しようとすると非常に長い文章になりそうなので、上記の強引な要約文でご勘弁を。そもそもこの映画の原作である士郎正宗のマンガからして、欄外に膨大な注釈が付いているほど恐ろしく情報量の多い作品なので、映画版も設定やストーリーが複雑なのです。

 そしてその複雑な設定やストーリーは、登場人物の会話の中でかなり説明されます。だから全体的に、台詞が多くてしかも長い。
 で、本来なら私は台詞の多い映画はあまり好きではないのですが、この作品は例外。台詞の内容が面白いし、全編ダラダラ喋りっぱなしというわけではなく、要所要所に台詞の無いシークエンスも挟まれていて、バランスがとれているからです。言葉が多いけれど多すぎはしない、というか。
 
 これは押井監督の他の映画、例えば『イノセンス』や、前の記事に書いた脚本作『人狼 JIN-ROH』にも当てはまります。
 やはり基本的には台詞が多いのですが、時折、風景を延々と映し出す(しかも映像が実に凝っていて音楽も素晴らしい)シークエンスなどが登場。その間は台詞がほとんど無いので、観客は「言葉ではないもの」をじっくり味わうことができるわけで。このメリハリのある構成、とても効いていると思います。『人狼』と今回の作品を立て続けに観て、改めて気付きました。

 さて、せっかくなので、ニューバージョンとしてオリジナル版と違う点について、さらに触れておきます。先ほど「映像の一部と音響を作り直した」と書きましたが、声優のキャスティングも一部違っているのです。人形使いの声が、前回は家弓家正だったのが今回、榊原良子に。男性の声から女性の声に変わったわけです。この変更によって、人形使いと草薙素子の関係がレズビアン的な雰囲気になりました。
 
 そのため、素子に対して密かに思いを寄せているバトーという男性キャラが、何だか可哀想なことに‥‥。もちろんオリジナル版でも、彼は素子を他の男に取られた形になっていて充分可哀想なのですが、今回はまた別の悲惨さが漂っているというか。
 例えば人形使いと素子が交信するシーンで、傍にいるバトーが、「女同士の秘密めいた会話に入り込めずオロオロする男」に見えるのです。何しろこの女たち、外見的にも(義体のデザインが)美しいし、声も揃って非常に艶っぽく、そんな2人が「私たちの世界」を創りあげてしまうと、武骨な大男であるバトーは完全に部外者、異質な存在。彼のこの奇妙な淋しさは、オリジナル版には無かったものです。

 最後に、この映画の中で個人的に好きな台詞を、ひとつ。人形使いの台詞です。「人はただ記憶によって個人たり得る。たとえ“記憶”が“幻”の同義語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ」。
 ある程度歳をとって気づいたのですが、自分が(男女問わず)他者に好感を持つときは、その人の記憶や「記憶の抱え方」に好感を持っている場合が多いような気がします。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

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