お笑い→恐怖

 こまごました用事に追われ、さらに性懲りもなくムウ~と考え事をしていたら、すぐに日が経ってしまいました。少しはピンク映画のビデオを観たりもしているのですが、今日はちゃんと書く時間が無いので、とりあえず思いつくままに小ネタを。
 

●以前私が『あるテクノ歌謡の思い出』という記事で触れたミス花子、現在はNHK大阪の大道具さんをやってるんですねえ。TVブロスのちっこい記事で知りました。なんでも同局制作の番組『わが心の大阪メロディー』の中で、『探偵!ナイトスクープ』ばりに桂小枝が花子氏を捜索(?)したのだとか。
 
 ちなみに私、『ナイトスクープ』が好きで一時期よく観てたんですが、司会者が変わってからはあんまり観てません。やっぱり上岡龍太郎がよかった‥‥鶴瓶とやってた『パぺポ』も面白かったな‥‥そういえばテレビでもラジオでも、『パぺポ』みたいに2人くらいで延々とダベり続ける番組って、減ってきてるんですかね。『ナイトスクープ』つながりで言うと、かつて北野誠がラジオで『世紀の雑談』というスポンサーなしのダベリ番組をやっていて、これも面白かったのに無くなってしまったし。


●先日やや久しぶりに書店に行くと、『パタリロ師匠の落語入門』なる本が視界に飛び込んできまして。どんな内容かと思い、手にとってパラパラめくってみたところ、つまり魔夜峰央は大の落語好きで『パタリロ!』にも落語ネタをたくさん織り込んでいるらしく、そのあたりを分かりやすく解説した本のようで。
 それにしても今ちょちょいと検索して知ったんですが、『パタリロ!』のコミックスって81巻まで出てるんですねえ。すごいなあ。私は連載開始当初だけ読んでいたんですけど、それってもう30年くらい前なんだよなあ。
 
 ところで私の中では、魔夜峰央といえばギャグよりもまずホラー。なぜかというと、彼は初期に怪談モノを描いていて、それが非常に怖かったんですよ。子供の頃たまたま雑誌で見て、とにかくもう絵柄自体が怖くてゾ~っとしましたもん(私は『パタリロ!』でもちょっと怖いです、バンコランの顔とか)。
 あとこれは本人も公言しているようですが、彼の絵柄はビアズリーに似ているというか、影響を受けてますよね。実はビアズリーも、私にとっては恐怖の原体験なのです。やはり子供の頃、京都の親戚の家にビアズリーの『サロメ』の中の1枚(例の有名な生首を持っている絵)が飾ってあって、怖いんだけどなぜか好きで、よくジ~っと眺めておりました。
 

『訪問者』

 1980年 著者:萩尾望都

 前の記事の最後に触れた『訪問者』。先日、改めて読み直していてふと気づきました。このマンガは構成の面で、以前取り上げた映画『人狼 JIN-ROH』と少し似ています。
 両方とも、あるひとつの童話的な物語のイメージが作品全体を貫いていて、しかもそのことがラストで非常に効果を上げているのです。具体的にいうと『人狼』ではかの有名な「赤頭巾」、そして『訪問者』の場合、主人公の父親が語った「神さまがきた話」のイメージが、全編にわたって登場します。

 幼い少年オスカーは、売れない写真家である父グスタフと、商社に勤める母ヘラとの3人暮らし。しかし実は、オスカーとグスタフに血のつながりはありません。夫婦の間に子供ができなかったこと、また放浪癖のあるグスタフを家に引きとめたかったことなどから、ヘラが他の男性との間に子供を作ったのです。グスタフはそのことを知っていて、オスカー自身もうっすらと気付いていました。
 そしてオスカーが9歳の時、グスタフが衝動的にヘラを殺してしまい、グスタフはオスカーを連れて放浪の旅に出ます。
 
 冒頭近く(オスカーが6歳くらいの頃)、父子2人で猟について話し合っているとき、グスタフはオスカーに「神さまがきた話」を語り聞かせます。「あるとき神さまが、森の動物をたくさん殺している狩人を裁こうと彼の家にやってきた。しかし、家の中で小さな子供が眠っているのを見て裁くのをやめ、きた道を帰って行った」というような物語。(ちなみにこれ、聖書か何かに出てきそうな感じですが、単行本に掲載されている解説によると、著者の創作なのだそうです。)

 そしてその後オスカーは、何かあるたびにこの「神さまがきた話」を思い出し、自分の境遇や気持ちに重ね合わせます。例えばヘラが死んだとき、捜査のため家にやってきた刑事に対して、彼はこう言います。「たとえあなたが裁きをおこなえる神さまでも、子どものいる家にきてはいけないんだよ」。
 
 オスカーは、父が母を殺したことを知っていて、父をかばい続けます。母を嫌っていたわけではありません。父も母もそれぞれ大切に思っていたはず。しかしやはり、母亡きあと父までが自分の傍から居なくなることに恐怖を感じたのでしょうし、そして何よりも、父のことが大好きだったのでしょう。
 そう、彼は、血のつながりなど無くても、父のことが大好きなのです。また、父が売れない写真家であること、すなわち経済力があまり無いなどということは、どうでもいいのです。しかし父は、血のつながりやその他諸々のことを、常に気にしていたようです。

 ※以下の文章では、作品の結末に触れています。

 結局この意識の違いが、2人を別れさせることになります。というか、私はそのように解釈しました。オスカーはグスタフを誰よりも「本当の父」として必要としていたけれど、グスタフはオスカーのその気持ちを、完全に理解することはできなかったのでしょう。
 そしてこのラストの切ない別れにおいて、オスカーはまたしてもあの「神さまがきた話」を思い出し、心の中で、ある言葉をつぶやきます。この場面、素晴らしいです。素晴らしく哀しい。世の中に存在するある種の哀しみ、非常に近しいはずの人と分かり合えなかったことの哀しみを、見事に掬いあげています。

 ところで、この文章を書いていて思い出したのですが。「父と息子」を描いた作品として、もうひとつ私が好きなのは、『イゴールの約束』。ダルデンヌ兄弟の映画です。いつかこれについても書くつもりです。

近況、そして11月といえば。

 前の記事で書いたような事情により、しばらくはかなり多忙でした。しかもその過程で色々なことを考え込んでしまい、よけいに疲れました。私はどうも昔から、「必要以上に考え込んで、疲れたり暗くなったりする」というパターンが多いようです。もちろん、好き好んでワザとやっているわけではありません。気がつくと、そういう状態になっているのです。
 
 でもまあ、自分で自分をしんどい方に追い詰めている部分も、少しはあるかもしれません。そういえば以前、ある年長の知人から、私のこういう傾向について「精神的な自家中毒だ」と言われたことがあります。「自分の心の中で毒を作って、その毒に自分が当たっている」という意味なのでしょう。今後はこの知人の言葉を常に意識して、考え込みすぎないよう気をつけたいものです。

 ところで、先月このブログについて「反応が少ない」と愚痴りましたが、あのとき書き忘れていたことがあります。つまりですね。反応云々の前に、そもそも閲覧者数が少ないんですよ。ははは。本当に、ごく少数の方たちだけが読んでいる、という状態。それが続いています。こうなると、読んでくださっている方々は、もう私の身内みたいなものです(勝手に身内にしてスイマセン)。
 だからこれからは今まで以上に、一般性の無い記事や、映画と直結しない雑談的な記事も、書かせていただきます。最近、時間が無くて映画を観てないってのもありますし。

 で、11月。もう半ばですね。私の場合、11月といえば未だに「ギムナジウム」という言葉をまず連想します。もちろん、萩尾望都の『11月のギムナジウム』です。10代前半の頃、彼女や竹宮惠子の全寮制男子校モノ(?)を愛読していました。ちなみにそれ以前には、ケストナーの『飛ぶ教室』にハマっていた時期もあります。よっぽど男子校モノが好きだったんですねえ。
 さてその『11月のギムナジウム』ですが、そうやってすぐ連想するわりには、実はあまり思い入れが無いのです。関連作品である『トーマの心臓』も同様。昔はとても好きだったのに、今読むとどうもピンとこないのです。
 
 しかし! このシリーズの『訪問者』という作品だけは別。昔も大好きだったし、今でも大好きです。これは『11月~』や『トーマ~』に登場するオスカーというキャラクターの子供時代を描いた作品で、彼と父親が訳あって放浪の旅に出るが‥‥という内容。親子関係をテーマにした作品として非常に優れている(と私は思う)ので、近いうちに詳しく書くつもりです。

近況→方言

 最近、身内の者が急病で入院しまして、命に別状は無いものの、やはり心配もあれば色々やることもあるので、しばらく映画レビューは書けないかもしれません。エッセイもどき・日記もどきなら書けると思いますが。
 
 実は今年の初め頃にも、別の身内が急病で入院しました。その後良くなったり悪くなったりを繰り返し、しかも最初にかかった病院がちょっとアレだったので途中で病院を変えたりとかゴチャゴチャあって、なかなか大変で。また、その影響でさらに別の者の持病が悪化して病院を探したりと、とにかく今年は病院に縁があるなあー。
 
 まあ今年に限らず私の人生、自分自身が大病・大ケガをしていないわりには病院と縁が深いっつうか。10代の頃から家族の長期入院が多かったので、これまでの人生で病院にはかなり行っています。ずっと泊まり込みで介護をしていた時期もあります。私が大学生で、世の中がバブルの頃。だから私はいわゆる「バブル世代」なのかもしれませんが、そう言われても正直「ケッ」って感じです。ナハハハハ。
 
 実は先日、ある身近な人からこのブログについて、「もう少し自分のことを具体的に書いた方がいいのでは?」というアドバイスをいただきました。そこで今回はやや具体的な近況を記し、今更ながらプロフィール欄にも普通の自己紹介を書いてみました(そのうちまた書き変えるかも)。
 
 はい、そうです、実は愛媛出身です。つまり、記事の文末にときどき出てくる「○○やなあ」という言い回しは、関西弁ではなく伊予弁なのです。ちなみに伊予弁には、「○○やけん」「○○やろがね」など色々あり。また例えば、「机を手で持ち上げて移動させる」ことを「机をかく」と言うなど、よその人には通じない独自の表現もけっこうあります。
 ですから、たまに映画の中で愛媛出身の登場人物が、関西弁を水で薄めたような喋り方をしているのは、あれは間違いです! まあ県内でも地域によって少しずつ方言が違うので一概には言えませんが、少なくとも「関西弁の水割り」みたいな方言はどこにも実在しないはず。
 
 さて、ここまで読んで「実際に伊予弁を聞いてみたい」と思った方は、映画『がんばっていきまっしょい』(1998年・磯村一路監督)をご覧になってください。この映画の伊予弁、完璧ではないものの、かなり正確。作品内容は基本的にはスポ根ですが、熱血ではなく微妙に冷めたところのある、しっとりした青春映画だったように記憶しています。
プロフィール

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。

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