『恋味うどん』

(成人館での公開タイトルは『悩殺若女将 色っぽい腰つき』)
2006年 日本 監督:竹洞哲也 脚本:小松公典 出演:吉沢明歩、なかみつせいじ、柳東史、倖田李梨、青山えりな、岡田智宏、松浦祐也、サーモン鮭山

 先週、イメージフォーラムのピンク特集にて鑑賞。竹洞・小松コンビの作品ということで期待して観たものの、残念ながら私にとっては今ひとつグッと来ない作品でした。
 いちばん気になったのは、うどんの扱い方。この映画では「うどん」は単なる食べ物ではなく、ひとりの登場人物と言ってもいいほど重要な存在なのに、それにふさわしい扱いがされていない。といっても、例のエロ夢シーン(うどんをアソコに載せて食べる)のことではないですよ。
 
 いつも男に貢いでは騙されている花子(吉沢明歩)。またしても交際相手(サーモン鮭山)に全財産を貢いだ直後、逃げられてしまう。お腹をすかせて街をさまよう花子に、うどん屋の店主・一義(なかみつせいじ)が、うどんをタダで食べさせてくれた。花子は一義の店で働き始め、店員の礼(松浦祐也)や常連客たちにも温かく受け入れられる。
 そんな折、常連客のひとりで一義の幼なじみでもある隆(柳東史)が、親から引き継いだ書店の経営に行き詰まり、再出発のため妻(倖田李梨)とともに街を去っていく。一義は淋しさから、花子に初めて身の上話をする。離婚後、男手ひとつで育てあげた娘・幸(青山えりな)の話。自分が子離れできず結婚に反対したため、幸は料理人の憲二(岡田智宏)と駆け落ちし、絶縁状態になっているという。
 花子は一義の作ったうどんを持って、幸を訪ねる。うどんを食べる幸と憲二。これがきっかけで父娘は和解。幸が夫と子供を連れて、戻ってくることになった。そして花子は‥‥。

 つまりこの映画では一義のうどんが、人と人とを結びつける重要な存在になっているわけで。花子と一義、一義と常連客たち、そして一義と幸とその家族。皆、うどんが結びつけた。きっと一義の作るうどんには、彼の思いが込められているのでしょう。「心のこもった料理」とは、まさにこのこと。だからこそ、クライマックス部分(上記のあらすじの続き)には疑問を感じます。

※以下の文章では、作品の終盤(結末まで)に触れています。

 その部分を要約すると‥‥花子、深夜の厨房に立ち、うどんを茹でようとしている→花子、やってきた一義に「うどんを一から作ってみたいんです」と言う→一義、自分が厨房に立って作る→2人、店のテーブルで、できあがったうどんを前に語り合う→一義、不器用な言葉で愛の告白をしたあと、「それ食ったらもう寝ろ!」と言いながら奥の部屋へ入ろうとする→花子、一義に抱きつく→2人、そのまま部屋でセックス。
 
 あの~~、うどんはどうなったんですか? 放置、ですよね? ここで急に、うどんの影が薄くなってしまったじゃないですか! ちゃんとうどんを食べ終わるところまで描写して、それからセックスシーンに行った方が絶対いいですよ。
 とゆうか、そもそも何で「花子が自分で最後まで作る」という展開にしなかったのかなあ。そうすれば、花子の作った素うどんを一義が食べるシーンとして、以下のようなセリフのやり取りができるのに。「あのー、味、どうですか?」「んー、ちょっとつゆが濃すぎるけど、ま、これはこれでけっこう美味いんじゃねえの?」「ワー、良かったー嬉しいー」。これがホントの『恋味(濃い味)うどん』。単なるダジャレと言われれば、それまでですが。

 さらに、その後の結末部分も、やや疑問。一旦うどん屋から去った花子が結局また戻ってくる、という流れなのですが。これ単純に、去るなら去る、居るなら居る、どちらかにした方がいいんじゃないでしょうか。
 もちろん、花子の気持ちの揺れは推測できます。家族の生活を邪魔しないようにと去ったものの、やはり一義が恋しくなったんだろう、と。でも、こういうオーソドックスな人情話を軸にした作品で、ラストに揺れがあると、「着地がビシッと決まっていない」という印象を受けます。例えば何か複雑な問題を描いた作品なら揺れのある結末も効果的ですが、人情モノの場合、シンプルにストンと着地した方がいいのでは?

 もうひとつ、気になったことがあります。隆の人物像。彼は「バイトをしている」と言いながら実はしていなかったり、妻からお金の話をされると逆ギレしてレイプのようなセックスをしたりと、やや言動に問題アリ。それなのに妻や一義たちから当然のように好かれているというのが、ちょっと不可解でした。
 
 おそらくこれは、隆を演じている柳東史の容姿も影響しているのではないかと。柳氏はとてもスタイルが良く顔立ちも端整で、つまり一般に言うところの「かっこいい」容姿の持ち主。そんな彼が上記のような隆の言動を演じると、なんというか、かなり軽薄な感じに見えてしまうのです。
 逆に、いかにもイケてない系の男優だったら、あまりそういう風には見えないでしょう。キャスティングの経緯は分かりませんが、もし柳氏が最初から決まっていたのなら、隆の人物像を、もう少しお人好しとか要領が悪いとか、そういう方向に造形するべきだったと思います。

 なお、劇場でこの映画を特集したPGが販売されていて、観た後に買おうかと思っていたのですが、その時には売り切れか何かで無くなっていたので、結局買っていません。よって関係者のインタビューやシナリオなどの資料を読まずに、この文章を書きました。資料を読めば分かることを分かってないマヌケな文章になっているかもしれませんが、そういうわけなので、ご了承ください。

※追記‥‥1週間後に、この記事の補足のようなものをアップしました。こちらです。

滲出液

 しんしゅつえき。滲み出る液。アトピーなど皮膚病の経験がある方ならご存知かと思いますが、湿疹が痒くて掻いてしまった時などに出てくる黄色っぽい液体のことです。これが最近、掻かなくても出てくる(気づかぬうちに掻いているのかもしれませんが)。
 ずいぶん前から同じ場所に、湿疹ができる→引っ込む→またできる‥を繰り返していて、病院で処方された強めのステロイドを塗っていたものの、いっこうに治らず。で、漢方軟膏に変えたら滲出液がやたら出るようになり、仕方なくまたステロイドを塗っています。は~~~。
 
 薬といえば、頭痛にはずっとバファリンを使っていたのに、だんだん効かなくなってきたので、これまた仕方なく強めのものに変えました。最近、気分的にヘナヘナと脱力するような出来事(ブログとは無関係)があり、そのせいか調子が悪いっす。

 次の記事では『恋味うどん』について書きます。期待して観たせいか、ちょっとガッカリしたので、そのあたりのことを。

『キャラバン野郎 7』

(成人館での公開タイトルは『飯場で感じる女の性』)
2000年 日本 監督・出演:荒木太郎 脚本:内藤忠司 出演:林由美香、鈴木あや、久須美欽一、小林節彦、丘尚輝、時任歩

 先週、イメージフォーラムのピンク特集にて鑑賞。荒木太郎監督の作品を観るのは、これが初めて。(池島監督の時と同じ言い訳をまた書きますが)荒木監督作品は一般館でほとんど上映されず、ソフトもあまり出回っていないため、♀にとっては観る機会が少ないのです。
 
 この『キャラバン野郎』シリーズは、荒木氏の監督・主演による連作。主人公の真二(荒木氏)も彼の元恋人・花枝(林由美香)も、それぞれにさすらいの旅を続けている‥‥というのがシリーズ全体を貫く基本設定のようです。で、当然ながら私は今回、真二というキャラクターを初めてスクリーンで観たわけですが、まず思ったことは、「東海林太郎みたい」。

 少し解説しておくと、東海林(しょうじ)太郎というのは昭和初期から中期にかけて活躍した歌手で、黒縁メガネをかけ直立不動で歌う姿が有名。といっても、もちろん私はリアルタイムで彼の活躍に接した世代ではなく、子供の頃に身内の年配者たちが、メガネをかけた姿勢のいい男性を見かけるたびに「東海林太郎みたいやな」と言っていて、それが刷り込まれているのです。
 この映画の真二はメガネをかけているうえ奇妙に姿勢が良く、例えば疲労と空腹で倒れるときも、直立姿勢のまま前方にまっすぐバタンキュー。おまけに演じている荒木氏の名前が「太郎」。こうなると、どうしても東海林太郎を連想してしまうわけで。
 
 しかもこの映画自体、設定はおそらく現代のはずなのに、昭和初期から中期ごろを思わせる要素が多いのです。まず真二は今時なぜか白黒ショーの巡業をしているし、そのショーの際には『天然の美』(チンドン屋さんの定番曲)を流しているし。
 さらに花枝の使う言葉が妙に古いというか。例えば彼女は、飯場の男たちとヤリまくるレイカ(鈴木あや)に向かって、「ここは女郎屋じゃないのよ!」と言ったりします。

※以下の文章では、作品の結末に軽く触れています。

 さて前の段落で「設定はおそらく現代のはず」と書きましたが、これはひとえにレイカのキャラクターからの推測。
 彼女、最初は真二の白黒ショーの相手役を務めていたものの、ちゃっかり金を持ち逃げし、でも一応反省して謝罪しようと、真二が居そうな場所(花枝が飯盛り女として働いている飯場)にやってきます。しかし既に真二は旅立ったあと。するとレイカ、男たちに交じって工事現場で肉体労働を始めるのですが、しだいに別の意味での肉体労働にいそしむようになり。そんな彼女の口癖は、「ってゆうか~」と「レイカ的には~」。
 そう、彼女、かなりギャルっぽい。しかし後半のあるシーンで、意外な面が明らかになります。どうやらセックスに関して辛い過去があるらしく、「男なんてみんなヤルことしか考えてない!」「あたし1度もセックスでイッたこと無い!」と号泣。ちょっとしんみり(でも結局はまた嬉しそうに男に向かっていくのであった)。
 
 意外といえば、花枝にも少々意外な面が。彼女、基本的にはしっかり者かつ働き者。「この職場では禁欲する」と公言し、セクハラしてくる男たちを軽くいなしながら、テキパキと仕事をこなします。しかしレイカの誘惑には負けてしまい、レズ行為にどっぷりハマることに(でも結局はレイカと別れるのであった)。
  
 アッケラカンとしたギャルにも少しだけ暗い部分があり、それでもやっぱりアッケラカンとしている。しっかりした姉さんキャラにも少しだけ脆い(いい加減な?)部分があり、それでもやっぱりしっかりしている。この人物造形の微妙さ、なかなか秀逸だと思います。ずっと同じ性質であり続けるのでもなく、途中から別人のように変わるのでもなく、かすかに揺れ動いているような描き方が、人物に奥行きを与えているというか。

 不思議なレトロ趣味も面白かったし、人物造形にも好感が持てたので、荒木監督&内藤忠司(脚本)コンビによる他の作品も、機会があればぜひ観てみたいです。ちなみに、これはかなり知られた話ですが、内藤氏はかつて大林宣彦監督のもとで助監督をしていた方で、『さびしんぼう』などの脚本にも参加しています。

『あるヌードモデルとマネージャーの不慣れな恋の物語』

(成人館での公開タイトルは『菊池エリ 巨乳』)
1986年 日本 監督:細山智明 脚本:鴎街人 出演:菊池エリ、池島ゆたか、橋本杏子、藤村真美、秋山未来、中村京子
監督による解説や場面写真・ポスター画像など→http://www.interq.or.jp/earth/kiyomats/tworks_files/nudemodel.html

 前回の記事に書いた『NEXT』と2本立てで鑑賞。内容は、監督&脚本の細山智明(“鴎街人”は細山氏のペンネーム)がつけたタイトルのとおりです。すなわち、あるヌードモデルとマネージャーの不慣れな恋の物語。本当にこれだけと言っていいほどシンプルなストーリーなのですが、最後まで引き込まれて観ました。
 
※以下の文章では作品の結末に触れています。

 監督の解説にもあるように、この映画で描かれているのは、プラトニックな恋愛。ヌードモデルのエリ(菊池エリ)のマネージャーである影田(池島ゆたか)はエリに思いを寄せ、エリのほうも影田に好意を持つものの、結局彼らは一度も体を重ねることはなく、キスはおろか手をつなぐことさえないまま、ある事件をきっかけに別れ、そこで映画は終わります。
 
 この構成だけでも充分に切ないのですが、さらにその切なさを増幅させているのは、頻繁に登場するエリと他の男性(時には女性)とのセックスシーン。といっても、それらはあくまでも「エリが仕事をしているシーン」ではあるのですが。
 つまり彼女はヌード写真のモデルだけでなくAV女優のような仕事もしていて、むしろそちらがメインなので、「仕事のシーン=色々な人と濃厚なセックスをしているシーン」となるわけです。しかもそれらのセックスシーンでは、エリの傍に、いつも影田がいる。彼もまた「仕事」として、彼女が他の男(女)と激しく絡み合っている姿を、じっと見守っているのです。彼自身は、彼女に触れもせず。
  
 さらにこの映画、エリと影田がバーなどで一緒に話しているシーンでは引きの画が多く、反対に、エリが男優や女優と絡んでいるシーンでは寄りの画が多いので、後者が強調されているというか、グイグイ迫ってくるような感触があり、よけいに切ない気持ちが喚起されます。

 ここまで何度も「切ない」と書いてきましたが、それでもこの映画、観終わって明るく爽やかな余韻も残ります。理由はふたつあって、ひとつは、エンドクレジットが楽しげな雰囲気に演出されていること。もうひとつ、これが大きいのですが、ラスト2シーンにおける主人公たちの表情がどちらかというと明るめであること。
 エリと影田が別れてそれぞれ独りになったあと、2人とも最終的には、微妙に笑顔に近い表情になるのです。悲しいけれど、淋しいけれど、これでよかったんだ、よかったと思わなくちゃ‥‥というような。特に影田はエリが去った後、ある行為をするのですが、それが終わった時、嬉しくもあり哀しくもあるというような複雑な表情を見せます。その顔がとてもいい。池島氏、好演です。

『NEXT』

(成人館での公開タイトルは『超いんらん やればやるほどいい気持ち』)
2008年 日本 監督・出演:池島ゆたか 脚本:後藤大輔 出演:牧村耕次、日高ゆりあ、倖田李梨、千葉尚之、青山えりな、川瀬陽太、なかみつせいじ、ジミー土田、野村貴浩、大場一魅

 先週、イメージフォーラムのピンク特集にて鑑賞。池島ゆたか監督、101本目の作品。実は私、池島氏の出演作品は少しばかり観ているものの、監督作品はおそらくこれが初めて。 
 これまでの100本を観ていない人間が101本目についてアレコレ書くというのは、ある意味失礼なことなのかもしれません。しかし、だからといって書かないというのも何か違うような気がするし‥‥。やはり、書いておきます。この作品を観て、「いい映画だ」と思いつつも微かな違和感を持ったので、そのあたりのことを。

 作品のおもな内容は、老映画監督の死の床での回想。病室で今まさに息を引き取ろうとしている夕景(牧村耕次)の心に、人生の様々な場面が浮かんでは消えていきます。それらを年代順に並べてみると。
 
 さえない舞台俳優だった、若き日の夕景(千葉尚之)。本当は映画監督を夢見ていた。同じ劇団の女優、東雲(青山えりな)と愛し合うが、彼女は去る。やがて夕景はAV男優に。やはりさえない。撮影現場で共演女優の夜半(倖田李梨)たちから冷たい仕打ちを受ける。相変わらず持ち続けている映画監督への夢も、AV監督(池島ゆたか)に嘲笑されるのみ。
 時は流れ、ピンク映画の世界で生きるようになった夕景。「映画」と名乗る少女(日高ゆりあ)に出会って一瞬のうちに惹きつけられ、彼女を主演に、魅力的な監督デビュー作を撮る。しかし「映画」は事件に巻き込まれ、帰らぬ人に。傷心の夕景、夜半と再会。かつての仕打ちを謝罪する夜半。2人、仕事では監督と女優、プライベートでは恋人同士となる。その後、夜半が助監督(川瀬陽太)と浮気するなど色々あったにもかかわらず、2人の絆が壊れることはなかった。
 
 映画では、以上のようなエピソードが、あえて年代順ではなくバラバラに描かれ、その合間に現在の(瀕死の)夕景を捉えたシーンが挿入されています。また、老いた夕景が純白のドレスを着た「映画」に会い録音スタジオに導かれる‥などの幻想的なシークエンスも、要所要所に登場。夢と現(うつつ)を行き来しながらひとりの男の人生を紡ぎ映画への愛を歌う、そんな作品に仕上がっています。

 さてこの作品では、主人公の夕景が映画監督を夢見るようになった具体的なキッカケや理由は、描かれていません。彼が東雲や、出会った時の夜半に対して「僕のアンナ・カリーナになってくれ!」と叫ぶことから、ゴダールに憧れていたというのは分かるのですが。
 また当時の夕景は「監督になりたい」と言いつつも、例えば自主映画を撮るなどの実践的な行動には出ていません。つまり若い頃の彼は、本気で映画監督を目指すというよりも、映画監督という立場に抽象的な憧れを抱いていただけなのでしょう。
 しかしピンク映画の世界で働くようになってからの夕景は、違います。「映画」と名乗る少女に出会い強く惹きつけられても、彼女に対してアンナ・カリーナ云々とは言いません。この時の彼は、もう抽象的な憧れなど抱いておらず、本気で「自分の映画」を撮ろうとしていたのでしょう。そして、撮った。撮り続けた。年老いるまで。
 
 だから、この映画『NEXT』の最初と最後にそれぞれサミュエル・フラーとエリック・ロメールの言葉が引用されていることに、私は違和感を持ちました。「海外の著名監督に漠然と憧れていた青年が、自分自身の映画人生を獲得していく姿」を描いた作品で、なにも海外の著名監督の言葉を引用しなくても‥‥と思うわけです。この映画の最初と最後を飾るべき言葉があるとすれば、それは、池島監督自身の言葉なのではないでしょうか。

ゆたか祭り

 やや更新が滞っているので、とりあえずの近況報告など(この記事はあとで消すかもしれません)。今週は、イメージフォーラムのピンク特集に行きました。観たのは、『菊池エリ 巨乳』と『超いんらん(以下略)』の2本立て。前者は池島ゆたか主演作品で、後者は同氏の監督作品。この組み合わせは意図的なんですよね? 「ゆたか祭り」ってことで。近日中に2本ともレビューを書くつもりです。

 さらに『菊池エリ~』('86)の監督である細山智明氏について。彼のOV『お天気お姉さん』('95)を発売当時に観た私は、その予想外の奇妙さをちょっと面白く感じたものですが、以後、彼の名前を見かけなくなり、もう映画はやめてしまったのかな? などと勝手に推測していました。しかし先日、ふと思い立って検索してみたところ細山氏のサイトが見つかり、それによると、紆余曲折ありながらも映画制作に向けてずっと努力してらっしゃる様子。勝手な推測・決めつけはダメですね。反省。
 
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

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