『ロボゲイシャ』

2009年 日本 監督・脚本:井口昇 出演:木口亜矢、長谷部瞳、斎藤工、志垣太郎、亜紗美、泉カイ、松尾スズキ、生田悦子、竹中直人
上映中  公式サイト→http://robogeisha.com/

 1週間ほど前に、シアターN渋谷にて鑑賞。井口昇監督の新作なので期待して観たのですが、う~ん、もったいない。「芸者の下半身が戦車にトランスフォームする」とか「城に手足が生えてロボットになる」といった個々のアイデアは凄く面白いのに、その面白さがうまく生かされていないというか。
 例えば私は、その「ゲイシャ・トランスフォーム」の映像を予告編で観た時、妙にウケて爆笑したのですが、本編のクライマックスでその映像を観た時は、あまり面白いと思えませんでした。何故なのか。

 まずストーリーは、早くに親を亡くした姉妹(姉は芸者で妹はその付き人)が、国家支配を企む製鉄会社の会長親子に拉致され、芸者の姿をした暗殺ロボットとして生まれ変わり‥‥というもの。
 そして映画の冒頭は、ストーリー展開とは直接関係ないイメージ的なシーン。そこには、既にロボット化した姉妹や、会長親子の手下である「天軍」(天狗のお面・黒下着・網タイツ着用)が登場、派手に暴れ回ります。つまり冒頭から、珍妙かつハデハデなわけで。
 さらに姉妹が拉致されるあたりからも、製鉄会社の奇抜な外観(ややファンシーな和風の城)と装飾過多な内装、暗殺集団「裏ゲイシャ」の間抜けなファッション(髪型は芸者風で衣装はスポーツブラ&ショーツ)など、珍妙なものが次々に登場。最後までこのノリが続きます。
 
 要するにこの映画、冒頭からほぼずっと、珍妙・奇抜・派手のオンパレード。だから観客は次第にその種のものに慣れて、マヒしてくるというか。もちろん個人差はありますが、少なくとも私の場合、クライマックスの頃にはもう慣れていて、「ゲイシャ・トランスフォーム」や「城ロボ」が登場しても、あまり面白みを感じることはできませんでした。

 冒頭に派手なシーンを持ってくるのは、観客の興味を引き付ける意味である程度は有効だと思います。しかし、その後の展開でも派手や珍妙を連発するのは、あまり効果的ではないような。やはり、しばらくはやや地味に抑えておき、徐々に派手さ・珍妙さを増してクライマックスでグワッと頂点に‥‥という風にしてほしかったです。
 例えば、同じ井口監督の『恋する幼虫』(2003)の場合。冒頭での主人公の幼児体験を描いた部分で奇怪な描写が登場するものの、その後は一応リアルというか日常的な世界が続き、徐々にまた奇怪な描写が現れてクライマックスからラストにかけてグワッと‥‥。こういう構成だと、終盤の奇怪さが衝撃的なものになりますよね。
 
 あと、色について。この『ロボゲイシャ』は全編を通して色使いも派手なのですが、色彩の面でも「最初は抑え気味で徐々に鮮やかさを増す」ということを意識すべきだったのでは?

※以下の文章では、映画の終盤の内容に触れています。
 
 ところで私は以前『片腕マシンガール』(2007)を観たとき、「井口作品に漂う人生観・人間観はシビアだ」と書きましたが、今回もやはり同じようなことを感じました。特に、天軍や裏ゲイシャの家族たちの描き方について。
 天軍も裏ゲイシャも、主人公姉妹と同じく会長親子に拉致された身なので、彼女たちの家族(祖父母や兄など)は、長年にわたって救出活動を続けています。しかし結局彼ら家族たちは、すっかり変わってしまった孫娘や妹を、自らの手で殺害。
 そしてこの殺害の過程が、(一部にやや感傷的な描写はあるものの)いわゆる悲劇的な感じではなく、わりと当たり前のことのように淡々と描かれているのです。なんというか、井口監督はシビアかつ厭世的な人なのかな? などと、ふと思いました。
プロフィール

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。

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