『花弁のしずく』

1972年 日本 監督:田中登 脚本:久保田圭司 出演:中川梨絵、三田村玄、大泉隆二、雪丘恵介、葵三津子、白川和子、牧恵子、高橋明
 
 1週間ほど前に、シネロマン池袋にて鑑賞。
 この映画は日活ロマンポルノ初期の作品で、田中登監督のデビュー作です。長らくプリント(上映用フィルム)が存在せず、幻の作品になりかけていたところ、2007年に有志の方たちの寄付や活動によってニュープリントが作られ、名画座や成人館などで上映されるようになりました。(この件に関して、詳しいことはこちらのサイトをどうぞ→
「復活 花弁のしずく」http://www18.ocn.ne.jp/~kamiya/index.html

 さて私は今回、初めてこの映画を観たのですが、予想以上に面白かったです。あらすじ自体は、「不感症の人妻がそれを克服して性的に花開く」という、非常にありふれたものながら、それ以外の要素が(色んな意味で)充実していて、観ごたえがありました。

 まず衣装や美術などが、かなり豪華。ヒロインの人妻は華道の先生で、鎌倉のお屋敷に住んでいるという設定なのですが、これがきちんと美しく映像化されています。つまり画面には、綺麗な花や着物や鎌倉の風景などが、常に映っている。しかもただ映っているのではなく、ビシッと決まっていて、画面に風格があるというか。撮影・照明の技術が優れているのでしょう。
 役者さんもイイです。特に主演の中川梨絵。当時はまだ20代前半のはずですが、非常に堂々としていて、すでに迫力があります。

 しかし、この映画で最も充実しているのは、なんといっても終盤の展開ではないかと。たしかにあらすじとしては、「性的に花開く」という、それだけのことなのですが、花開く過程で明らかにされるヒロインのトラウマや、医師による(不感症の)実践的治療が、あまりにも印象的。

※以下の文章では、終盤の展開に触れています(ただし肝心なところは、伏せ字にしてあります)。

 まずヒロインのトラウマは三段構え(!)になっていて、それだけでも強烈なのに、二段目のトラウマを描写したシーンが、これまた強烈。少女の頃にレイプされ‥という内容なのですが、そのレイプ魔の人物造形には、ちょっと驚きました。
 このシーン、レイプ魔には全く台詞は無く、彼の外見や行為だけで不気味さや凶悪さが見事に表現されていて、さすが田中登監督! という感じなのですが、ただ少々やり過ぎな面もあり‥‥。そのため、怖く悲しいシーンでありながら微妙に笑えるという、なんだか不思議なことになっています。
 そして、どういう風に「やり過ぎ」なのかというと。レイプ魔が、○○○○を使うんですよ。観ていて思わず「えっ?!」と言いそうになりました。ちなみにこの○○○○は、同時上映の近未来SF作品『老人とラブドール 私が初潮になった時…』(友松直之監督)にも、重要な存在として登場。『花弁のしずく』と『老人とラブドール』、この全くタイプの異なる2本に意外な共通点があることが分かり、これもまた驚きでした。

 そうしてトラウマが解明されたあと、医師によるヒロインへの実践的(肉体的)治療が始まって、まあこれは未見の方でも何となく想像はつくと思いますが、やはりこのシーンでも細部に至るまでちょっと「やり過ぎ」なため、微妙に笑いの方向へ‥‥。

 田中登監督といえば、ほぼ一貫してシリアスな作風で通した方ですし、この映画でも、ひとりの女性の再生を、あくまでもシリアスに描いたのだと思われますが、結果的には副産物(?)として、笑いの要素が生まれています。
 なぜ、こういうことになったのか。おそらくデビュー作ということで、肩に力が入り過ぎたんじゃないでしょうか。ありきたりでない作品を、観客の心に残る作品を‥‥と細部に凝っているうちに、やり過ぎてしまったんじゃないかと。
 そして衣装・撮影・演技など各パートのレベルが高いゆえ、その「やり過ぎ」さえもがゴージャスなものになったというか。ショボい映画での「やり過ぎ」は痛々しいだけですが、しっかり作られた映画での「やり過ぎ」は独特の観ごたえがあるのだなーと、改めて感じました。

 ちなみに主演の中川梨絵さんは、上映会で『花弁のしずく』ニュープリント版を鑑賞された際、大声で爆笑なさったあげく、「ツッコミどころは多いけど、これは面白い!」と仰ったそうです。詳しくは、「復活 花弁のしずく」に掲載されている、ヂョー氏による上映会レポートをどうぞ→http://www18.ocn.ne.jp/~kamiya/grisomu.htm

『人魚伝説』

1984年 日本 監督:池田敏春 脚本:西岡琢也 出演:白都真理、江藤潤、清水健太郎、青木義朗、宮下順子、関弘子、宮口精二

 1週間ほど前に、渋谷のシネマヴェーラにて鑑賞。
 今回の『人魚伝説』の上映は、「妄執、異形の人々V」という特集の中の1本として、かなり前から決まっていたものなのですが、上映直前に池田敏春監督の訃報が入り、結果的には追悼上映のような形になりました。しかも池田監督は、この映画のロケ地(伊勢志摩)の海で自ら命を絶ったとのことで、複雑な思いを抱きながら鑑賞した人も多かったはず。私もそのひとりです。
 そして私の場合、前の記事で述べたように、ほんの少しですが監督と接点があったためか、観終わったあと、何かズシリと重いものを投げつけられたような感触が残りました。

 しかしそのような感触が残った最大の原因は、監督の死にまつわる現実のあれこれよりも、やはりこの映画が持つ不気味なまでのパワー、これにつきるでしょう。
 原発誘致派の権力者たちに夫を殺された海女が復讐を決意し‥‥というストーリー自体は「社会派人間ドラマ」風で、もちろんそういう要素が軸になってはいるものの、映画自体の(特に中盤以降の)印象は、「血まみれスプラッター・アクション」。とにかく血糊の量とヒロインの運動量が凄まじい。ちょっとやり過ぎじゃないか、と思うくらいで、観ていて圧倒されるとともに、唖然とする瞬間さえあります。

 「社会派人間ドラマ」風な題材である以上、もっと観念的あるいは思想的な表現も可能なわけですが、『人魚伝説』の場合、なんというか‥‥観念よりも情念、思想よりも疾走。って、ダジャレみたいな言葉ですね。でも真面目にそう思います。
 あの中盤での全裸格闘殺人シーンや、クライマックスでの鬼気迫る大殺戮シーンを、頭の中で再上映しているうちに、そんな言葉が湧いてきました。

 ちなみにこの映画、たしかにスプラッター的な描写が強烈なのですが、それだけが観どころというわけではありません。例えば、ヒロインの逃亡先である渡鹿野島の風景。この島の独特の歴史を物語る、朽ちた大型船が映り込んでいるショットなど、非常に印象的です。

 実は私、この映画は今まで、ビデオでしか観たことがありませんでした。その時の印象では、中盤の全裸格闘殺人が特に強烈で。しかしこうやってスクリーンで観ると、クライマックスの大殺戮や渡鹿野島の風景も、同じかそれ以上に強烈。
 これはモニターとスクリーンの違いなのか、それとも私の映画の見方が変わったのか。たぶん両方でしょう。そしてさらに、何だかんだ言っても「現実のあれこれ」と映画を重ねて観てしまったことも、関係しているような。というのも、全裸格闘は室内シーンですが、大殺戮と渡鹿野島は屋外シーン。伊勢志摩の風景や雰囲気が映っている画の方が、今回は沁みました。監督の死を思って。

 やはり今しばらくは、ちゃんとした評や感想を書くのは無理なようで。今回の記事は、「報告」ということにしておきます。
プロフィール

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。

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