『テオレマ』

1968年 イタリア 監督・脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ 出演:テレンス・スタンプ、マッシモ・ジロッティ、シルヴァーナ・マンガーノ、アンヌ・ヴィアゼムスキー

 前回取り上げた『狂った舞踏会』は、文中に書いたようにパゾリーニにオマージュを捧げた映画でした。ということで、今回はそのパゾリーニの作品を。
 タイトルの『テオレマ』とは「定理」のこと。「既に証明された命題」というような意味でしょうか。このタイトルと「ブルジョワ家庭の崩壊」という題材から、難解かつ観念的な香りが漂ってきますが、実際に観てみると、いろんな視点から語ることのできるなかなか面白い作品です。
 
 ミラノの郊外にある、ブルジョワ一家の住む豪邸。ある日そこへ謎の美青年がやって来て、そのまま居ついてしまいます。やがて父も母も、息子も娘も家政婦も、青年の妖しい魅力の虜になっていきます。そして青年が去ったあと、一家は崩壊の道をたどることに‥‥。

 この映画は、セリフが極端に多いシーンと極端に少ないシーンとで構成されています。大まかに分けると、登場人物が政治的な問答や哲学的な告白をするシーンではやたらとセリフが多く、それ以外のシーンでは殆どセリフがありません。全体的には、セリフの無いシーンの方が圧倒的に多いです。
 例えば、一家全員が青年の虜になっていくくだりは、まるで無言劇のようです。つまり青年は、「話術で相手の心をつかむ」などということはしません。ただそこに居るだけで、皆を惹きつけてしまいます。
 もっと具体的かつ下世話な言い方をすると、一家の誰もが青年を見ているだけで異様なほど欲情し、自分から進んで裸になったり、混乱のためか自殺未遂をやらかしたりします。そして結果的に、青年が全員と肉体関係を持ったことが暗示されます。

 さて前半が上記のような流れだと、後半は「家族同士が互いに嫉妬やら何やらで、ややこしいことになる」という展開も大いにあり得るはずなのに、この映画では全くそうはなりません。これは注目すべき点だと思います。なにしろ青年が去ったあと一家が崩壊していく過程も、「家族同士が傷つけ合う」というような関係性の破綻ではなく、それぞれが違った形で個別に迎える自己崩壊だけなのです。
 こうしてみるとこのブルジョワ一家は、もともと単なる個人の集合体であって、絆や結びつきなどというものは無かった‥‥ということなのかもしれません。

※ここから先の文章では、映画の結末について詳しく述べています。ネタバレOKな方だけお読みください。
 
 ところで、この家族それぞれの自己崩壊の形というのが、非常にバラエティに富んでいて(?)面白いです。唯一、母親だけは「街で若い男を漁るようになる」という分かりやすい形なのですが、他は全員、なんとも奇天烈な末路をたどります。
 まず娘は原因不明の硬直状態に陥り、体が全く動かなくなります。息子はアトリエに引きこもって、ひたすら妙な絵を描き続けます。そして父親は自分の所有する大工場を労働者に与え、ミラノ中央駅で全裸になり、その姿で荒野を彷徨います。こうして文章で書くと「何じゃ、それは?」という感じですが、実際にそういう映像が無言劇に近い形で展開されるのです。圧巻。
 
 ちなみに、家族の一員ではない(そしてブルジョワ階級ではない)家政婦だけは、神のような奇跡を起こしたあと自らを土に埋めるという、「崩壊」ではなく「昇華」的な結末を迎えます。しかしパゾリーニは無神論者だったらしいので、単純に「昇華」と解釈すべきなのか、微妙なところです。

 最後に、どうでもいいことかもしれませんが‥‥ラストシーンの父親が全裸で彷徨う姿を観ていて、彼の(というか、演じるマッシモ・ジロッティの)体毛の多さにも圧倒されました。胸はもちろん、肩にまでフサフサと毛が生えているのです。こういうのは「肩毛」と言うのでしょうか??
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
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