『夕雨子のころ』は映画化に向いていると思う。

 理想を言えば、マンガや小説を映画化するよりもやはりオリジナル脚本を使う方がいいとは思うのですが、諸事情によりそうも言っていられないのが現状なのでしょう。そこで、映画好きのひとりとして「これを映画化すればいいのでは?」という提案をしてみます。や、まあ、提案というより単なる妄想ですが‥‥。
 
 で、何を原作として考えているかと言うと、池上遼一のマンガ『夕雨子のころ』。小学館から出ている『耽美コミック傑作選 肌の記憶』という単行本に収録されている作品です。
 ちなみに池上遼一というと、『男組』や『クライング フリーマン』など、原作者が他に居て本人は作画だけ担当している長編が有名ですが、この『夕雨子のころ』は、本人がストーリーも作っている短編です。基本的なストーリーがとてもよく出来ている上に、視覚的要素が鮮烈かつ妖美な作品なので、映画化向きなんじゃないかと前々から思っていました。
 
 はっきり言ってベタで感傷的なメロドラマなのですが、その点でも映画化に適していると思います。なぜなら斬新でヒネリのあるマンガの場合、もうそれだけで作品として確立しているので無理に他のジャンルに移し替える必要がないけれど、ベタなマンガだとアレンジのしがいがあるし、他のジャンルに移し替えることによって何かがプラスされるかもしれないからです。

※以下、『夕雨子のころ』のストーリーを結末まで書いています
 
 昭和44年、東京。マンガ家の慎平は、ともに金沢から上京し阿佐ヶ谷で同棲中の恋人・夕雨子をモデルに作品を描いています。しかし編集者は「内容が暗すぎる」と却下。神田の喫茶店で、失意の慎平を夕雨子はひたむきに励まします。
 
 そこに偶然居合わせた、慎平の知人でSM雑誌のイラストレーター・黒崎。彼は伊藤晴雨マニアの大手建設会社社長から、戦災で焼失した晴雨の責め絵を再現してほしいと依頼されています。
 初対面の夕雨子に魅了された黒崎は、慎平を罠にはめて強引に夕雨子を責め絵のモデルにしたうえ、彼女を凌辱。ショックのあまり慎平に心中を持ちかける夕雨子でしたが、慎平のふがいない態度に絶望して彼と決別、黒崎のもとへ向かいます。
 
 時は流れ、平成11年、軽井沢。建設会社社長の別荘の大広間に、すっかり中年になった慎平が佇んでいます。彼が見つめているのは、かつて黒崎が夕雨子をモデルに描いた責め絵。和服が乱れて乳房もあらわになった夕雨子が、雪の中、縄で縛られ横たわっています。その妖艶かつ優美な姿。
 
 慎平と別れてからの夕雨子は、黒崎が内縁の妻に殺されたのを機に、建設会社社長の愛人になっていました。そして社長の後ろ盾で「飛鳥麗子」として女優デビュー。平成不況の折、建設会社は負債を抱えて倒産しましたが、夕雨子は大女優として活躍しています。
 慎平はと言えば、早々にマンガ家の道を諦め、故郷で家業を継いでいる身。結婚し子供にも恵まれ幸せな生活を送っていますが、しかし夕雨子のことを忘れたわけではありませんでした。ニュースで例の社長の自殺と、彼の全財産が処分されることを知り、急いでこの別荘にやって来たのです。
 
 管理人に促されて大広間を後にする慎平、ふと振り返るとそこに若き日の夕雨子の姿が。2人が恋人同士だったころの、まだ垢抜けない少女の面影を残す夕雨子が、そこに立っているのです。
 しかしそれは一瞬の幻。老いを迎えつつある慎平が、もう手の届かないかつての恋人を想って見た儚い幻でした。 (ストーリー・終わり)

 や~、メロドラマとしてとてもよくできたストーリーだと思います。そしてこうやって改めて文章にすると、本当にベタやなあ~。実は黒崎の内縁の妻がキッツイ感じの元ピンク映画女優だったりとか、細部の設定もいちいちベタなんです。でもここまで徹底していると、ベタを通り越して「いい話」ですよね。
 また、昭和40年代の東京のいろんな街の風景とか、伊藤晴雨の責め絵とそれを再現するイラストレーターとか、地方出身の純朴な女性が妖艶に変身するとか、視覚的に面白い要素がたくさん入っています。役に合った俳優さんが見つかれば、大人向きの美しく切ない映画になるんじゃないかと。
 
 そして監督は、澤井信一郎か根岸吉太郎を希望。私にとってこのお2人は、「かつては良質なメロドラマを撮っていたのに、その後迷走している人たち」です。生意気な言い方かもしれませんが、またカッチリした恋愛ものを撮っていただきたいのです。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

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