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レスリー・チャン、15年。

     レスリー

今月の1日はレスリー・チャンの命日だった。
彼が自ら命を絶って、15年。
特に熱心なファンというわけではないが、役者としての彼が好きで、彼の映画を色々観ていた人間として、「もう15年も経ったのか…」と思う。

そしてその命日の頃、ツイッターで、映画史研究家の鷲谷花さんが、レスリーに関する2つの中国語の記事を紹介されていた。
残念ながら私は中国語が読めないので、記事の内容を詳しく理解することはできないが、添えられた画像や見出しの漢字の並び、そして鷲谷さんの要約文から、大まかな内容を知ることができた。

https://twitter.com/HWAshitani/status/979630067662782465
https://twitter.com/HWAshitani/status/980771047468236800

レスリーは単なる人気スターではなく、保守的な香港社会における挑戦者だったということ。
今でも彼を愛する人が大勢いて、中には、彼の死後ファンになった人もいるということ。

彼は映画で同性愛者の役を主役として演じ(『さらば、わが愛 覇王別姫』と『ブエノスアイレス』)、コンサートでは中性的な(性を超越した)衣装で歌い踊り、私生活では同性のパートナーと交際していた……ということは私も昔から知っている。
しかし、レスリーが香港社会でどのように受け止められ、どのような影響を及ぼしたか、ということは知らずにいた。

彼と香港社会との関係について、日本語で書かれた資料があれば読みたい。
そう思い、以前からアジア映画について調べたい時などに訪れているcinetamaさんのブログ『アジア映画巡礼』にアクセスしたところ、ちょうど、cinetamaさんご自身の著書『レスリー・チャンの香港』が紹介されていた。

https://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/e738e74adf066ab6f657baa80f5d88e9

この本を読んでわかったのだが、レスリーは生前、香港で多くの人に愛されながら、同時に多くの人の反感を買っていたようだ。
中国社会では、家の跡継ぎである子ども(特に男児)を作ることが重要で、そのさまたげとなる同性愛はマイナスイメージが強いため、レスリーの表現も生き方も、一般の香港人や世界中の保守的な中国系の人々には、受け入れてもらえなかったという。

彼が2003年に自ら死を選んだ背景には、90年代末頃からの香港映画界の衰退、初監督作品の撮影直前での中止など、様々な要因が挙げられるが(これらに関しても『レスリー・チャンの香港』では具体的なデータとともに詳述されている)、自分の存在が社会で受け入れられないという状況にも、彼は苦しんでいたのだ。

しかし彼の死後、その状況が少し変わったという。
きっかけは、新聞に出た死亡広告。
葬儀の日時などに加え、遺族の代表者の名前が記載されるわけだが、そこには、レスリーのパートナーだった男性の名前がまず筆頭に掲げられ、その後ろに、実のきょうだい全員(姉4人・兄2人)の名前が続いていた。
つまり、大勢いる実のきょうだい全員が、レスリーとパートナー氏の関係を認め、尊重したのだ。

このことによって、
「以前は二人の関係を好奇の目で見ていた人たちも、二人の愛情、そして信頼の深さを知るにつけ、こういった形の愛もあるのだ、と認識を改めたのである。」(『レスリー・チャンの香港』P265)

正直、この部分は読んでいて、ちょっと泣いてしまった。
彼が若くして亡くなったことは本当に残念だが、葬儀の際に実のきょうだいの方たちがそういう意思表示をし、それによって人々の認識が変わったということは、せめてもの救いだ。

そして、今もなお彼の熱心なファンであり続ける人たちが大勢いて、彼の死後ファンになった人たちもいるという現実が、至極当然のこととして感じられた。

……というようなことを思いつつ、上のイラストを描きました。
ちょっと暗い雰囲気の絵になりましたが、ひとり物思うレスリー、という感じです。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

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