『盗まれた欲情』

1958年 日本 監督:今村昌平 脚本:鈴木敏郎 出演:長門裕之、南田洋子、滝沢修、西村晃、柳沢真一、小沢昭一

 数日前に、シネマアートンの特集「はじまりの時」にて鑑賞。今村昌平の監督デビュー作。大阪・河内のドサまわり一座が農村滞在中に村人たちと繰り広げる、てんやわんやの人間模様が描かれています。
 
 主人公は大学出の若い演出家、国田。インテリでやや世事に疎い彼は、大衆演劇の一座に居ながら芸術的な舞台を志向しています。そしてそのための稽古を提案するも、一座の男優たちは女遊びに夢中。さらに村人のほうも、男たちは女優の尻を追いかけまわし、女たちは一座の公演を利用してがめつく金を稼いだり、男優に色目を使ったりと、欲望むき出しのやりたい放題。
 そんな状況に最初はウンザリしていた国田青年ですが、バイタリティあふれる人々の間で揉まれ、人妻女優との恋愛で苦悩するうちに、やがて自分の幼さや愚かさに気づき‥‥。

 実は私、昔から今村監督の作品がちょっと苦手です。今回この映画を観て、どういうところが苦手なのか改めてよく分かりました。
 ひとつは、性に対する感覚。たぶん今村監督は、人間の生命力と性的エネルギーを同種のものとして捉えていたのでしょう。「生命力の旺盛さと性欲の旺盛さは比例する」みたいな。どうも私は、こういう感覚が漂っている作品に接すると、やや引いてしまうようです。(余談ですが、ロマンポルノやピンク映画などあからさまに性を題材にした映画でも、こういう感覚を内包している作品とそうでない作品があり、私は後者の方が共感できます。)
 
 もうひとつは、村とか田舎の人々に対する認識。監督は彼らのことを「強くたくましくバイタリティあふれる人々」として描いていますが、私はこういう認識にもちょっと違和感があります。親族に山奥の村で育った者が大勢いて、昔の村の話をいろいろ聞かされた結果、私は村というものに対して横溝正史的な暗いイメージを持っているものですから。

 そういうわけで2重に苦手な今村作品なのですが、それでもこの『盗まれた欲情』はかなり面白かったです。苦手意識や違和感を持っている私でも、観ている間、作品世界にすっかり入り込むことができました。
 これはやはり、監督の演出が巧くて力強いからでしょう。特に、メインの登場人物だけでも相当な数なのに全ての人々がきちんと描き分けられているあたり、サスガだな~と思いました。また、青年が大人になっていく様子を、観念的な表現でなく具体的な描写の積み重ねで着実に見せていく手腕にも、感心させられました。
 
 調べてみると、この作品を撮った頃の今村監督はまだ32歳。この年齢でこういう映画を作れたのは、本人の才能だけでなく、当時の映画界のシステムがあったからでしょう。当時は映画会社で長いあいだ助監督を務めた人だけが監督になっていたので、若い新人監督であっても、既にプロとして映画制作のアレコレを熟知していたわけです。
 それに対して今は、極端に言うと誰でも監督になれます。初心者が仲間を集めてデジカメで撮った作品が、ちゃんとした劇場で上映されることもあります。それ自体は決して悪いことではありません。例えば「事情があって、映画制作の修業をしたくても出来なかった」という人でも監督デビューできるわけだし、そうやっていろいろな経歴の人が映画界に入ることによって、多様性も生まれるでしょう。ただ、技術や力量のない人がプロの監督になってしまう場合もあるわけで‥‥。
 
 こんなことをつい考えてしまったのは、同じ日に観た西村昭五郎監督のデビュー作『競輪上人行状記』(1963)が、やはり素晴らしかったからです。もちろん西村監督も、映画会社の助監督出身。さらに最近、澤井信一郎監督のインタビュー本を読んでいることも影響しているでしょう(澤井監督は東映で20年間も助監督をしていた)。
 あとはですねえ、最近観た自主映画出身監督の作品で、「チケット代が高いなあ(この半分くらいでいいんじゃないの?)」と思ってしまったものが何本かありまして。そんなわけで、監督の経歴についてふと考えてしまう今日この頃。これについては、そのうち改めて詳しく書きたいと思っております。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

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