『競輪上人行状記』

1963年 日本 監督:西村昭五郎 脚本:大西信行、今村昌平 出演:小沢昭一、南田洋子、加藤嘉、加藤武、伊藤アイ子

 しばらく前に、シネマアートンにて鑑賞。西村昭五郎監督のデビュー作。前回の記事に書いた『盗まれた欲情』と同じく、「インテリで世事に疎い青年が、さまざまな経験を積んで大人になる」系の内容ですが、こちらの方がよりシビアで重く、さらにラストでは、大人どころか全てを超越したような存在になります。
 
 「葬式仏教」の坊主稼業を嫌い、実家の寺から離れて教師の仕事に情熱を燃やす春道。しかし兄と父が相次いで亡くなったため、教師を辞めて、傾きかけた寺を継ぐことになります。ある日たまたま競輪で大当たりした春道は、寺の再建資金を稼ごうと競輪にハマっていきますが、そうそう上手くいくはずも無く、やがて借金を重ねることに‥‥。

 春道は最初、なかなかの熱血教師です。家出を繰り返す女生徒を何度も探して連れ戻し、世話をするなど、熱心に生徒指導に取り組んでいます。ただ、かなり鈍いというか、世間知らずなところがあります。
 例えば、その女生徒の妊娠が発覚して家庭訪問をした際、同僚教師は「義父に妊娠させられた」とすぐ気付くのですが、春道は言われるまで全く気付きません。というよりも、世の中にそういう親が居るということを、知らなかったようです。
 
 また彼は妙に潔癖なところもあり、葬式や法事で金を稼ぐ父に反発しているのですが、「お前はその金で3度の飯を食って大学にまで行ったんだぞ!」と指摘されると、何も言い返せないのです。おそらく自力でいくらかの学費を稼ぐということすら、していなかったのでしょう。父や家業に依存しておきながら、それらを軽蔑し批判しているわけで、つまり彼の正義や道徳とは、その程度のものだったのです。

 だから一旦苦境に陥ると、正義や道徳は吹き飛んで、春道の中の醜い部分があらわになります。借金の取り立てが厳しくなった時、あれほど熱心に世話していた女生徒を、売って金に換えようとするのです。「堕ちるところまで堕ちた」とは、まさにこのことでしょう。
 
 (少し話はそれますが。昨今、「本当の自分を探す」とか「本当の自分に出会う」というような言葉をよく見聞きします。そして大抵の場合、そこで言う「本当の自分」には、「今の自分よりちょっとステキな存在」というニュアンスがあるようです。しかし実際には、「本当の自分」にブチ当たってみると思いのほか情けない人でガックリ、という場合も多いのではないでしょうか。)

※ここより先は、ラストシーンに軽く触れています。ネタばれOKな方はお読みください。
 
 とにかく春道は、本当の自分がいかに醜く卑怯な生き物であるかを思い知るのです。こうなると、さらに堕ちていくか逆に跳ね上がるか、どちらかしかないのでしょう。
 彼は跳ね上がって、他の誰も到達できなかったような境地に至ります。それがタイトルにある「競輪上人」です。「上人」は、「一遍上人」とかの上人。偉いお坊さんです。競輪の偉いお坊さん? それがどういう坊さんであるか、ラストシーンだけで見事に表現されています。
 
 ここで春道は競輪上人として人々に説法をするのですが、この説法シーンが本当に素晴らしいのです。春道を演じる小沢昭一の名調子が冴えわたり、深い説得力があります。ラジオ番組などで今でも達者な語りを聴かせてくれる小沢氏ですが、若い頃(当時34歳)から話芸の達人だったのですね。きちんとした芸を持っている役者さんの強み、というものをしみじみと感じました。
 監督の演出も、この小沢氏の名説法を長回しでじっくり捉えて最高の見せ場にしています。そこまでは小沢氏に長ゼリフは無く、ずっと短いセリフだけで通しておいて最後にババーン! と長い説法を持ってくることによって、主人公の再生・転生を鮮やかに印象付けています。
 
 この映画における小沢昭一の魅力は、ラストの語りだけではありません。彼の持つ、軽薄さとは違う「軽やかさ」が、作品の雰囲気をカラッと乾いたものにしています。
 そして監督の演出にも、必要以上の湿気はありません。内容的に悲しい場面や辛い場面でも、「お涙ちょうだい」的な空気が無いのです。だから作品全体として、「泣かせや感動の映画」というよりも、「面白くて考えさせる映画」になっているのだと思います。
 
 ちなみに、ラストの説法の内容はここでは伏せておきます。上映機会の少ない作品ですし、まだソフト化もされていないようですが、未見でなおかつ興味のある方は、是非いつかご自分の目と耳でお確かめください。

 ところで『官能のプログラム・ピクチュア』(1983年発行)という本に載っているインタビューによると、西村監督は「この作品(『競輪上人~』)だけは自分のカラーが出た」と思っているそうです。しかし公開当時、興行的には失敗だったため、会社(日活)から長期間ホサれたとのこと。
 その後、青春もの・歌謡ものなどあらゆるジャンルの映画を撮らされたのち、ロマンポルノ第1作目の監督として登板。別の資料によると、ロマンポルノだけで83本も撮ったそうです。結果的にいわゆる職人監督となったわけで、それは決して悪いことでも何でもないのですが、私としては、「自分のカラー」を前面に出した作品をもっと観たかったような気もします(西村監督は随分前に引退)。
 
 最後にオマケとして書いておくと、この映画には、ストーリーとは関係なく唐突にSM的なシーンが出てきます。しかも一回だけ。まあ単なる偶然だと思いますが、西村監督がその後、団鬼六原作のロマンポルノを何本も撮ったことを考えると、ちょっと面白いですね。

追記(11月17日)‥‥そのSMシーン、「全くストーリーと関係ない」とは言い切れないのですが、特にSMで表現する必然性は無いというか、普通ならもっと別な感じで描くところなので、こういう書き方をしました。ちなみに、そのシーンでのMは南田洋子です。
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サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
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