『青春の蹉跌』

1974年 日本 監督:神代辰巳 脚本:長谷川和彦 出演:萩原健一、桃井かおり、檀ふみ、河原崎健三、赤座美代子、森本レオ、高橋昌也、中島葵、芹明香

 先週、シネマアートン下北沢で鑑賞。初見かと思っていたのですが、妙に見覚えのあるシーンが多かったので、たぶん大昔にテレビか何かで観たのでしょう。って、あまり思い入れの無さそうな書き出しですね。
 神代監督の映画は今まで10本くらい観ていて、いつも細かい演出など「巧いなあ」「面白いなあ」と感心されられるものの、作品に対する違和感を拭えない場合も多いのです。今回も、ある登場人物の描き方に疑問と違和感を持ってしまったので、それについて書いておきます。

※以下の文章ではラストシーンに触れています。ネタばれOKの方だけお読みください。

 貧しい母子家庭で育った青年・賢一郎(萩原健一)。彼はかつて打ち込んでいた学生運動と決別し、裕福な伯父(高橋昌也)の援助を受けながら、司法試験に向けて勉強しています。そんな折、かねてから肉体関係を持っていた登美子(桃井かおり)が妊娠。賢一郎は彼女に堕胎させ、司法試験に合格し、伯父の娘(檀ふみ)と婚約します。
 が、実際には登美子は堕胎しておらず、手術が可能な時期は過ぎていました。賢一郎は登美子と思い出の雪山に行き、性行為のあと彼女を殺害。その後、何事も無かったかのように月日は過ぎていきますが、ある日数人の刑事が、賢一郎を逮捕するためにやってきます。
 
 この刑事が逮捕しに来るラストシーンで、刑事同士の会話によって、ふたつの事実が観客に明かされます。まずひとつは、逮捕の決め手になったのが、登美子の遺体に残された精液だということ。そこから判明した血液型が、賢一郎のものと一致したのです。そしてもうひとつ、胎児の血液型は、登美子と賢一郎の組み合わせでは成立しないということ。つまり、子供の父親は賢一郎ではなかったのです。

 この映画では、もちろん主人公である賢一郎に関する描写が最も多く、彼の個人的な事情や背景が詳しく描かれているのですが、登美子についても、その複雑な家庭環境などがかなり描かれています。
 特に印象的なのは、登美子が継母(中島葵)に金の無心をするシークエンス。継母は、夫すなわち登美子の父が営むクリーニング店の従業員と愛人関係にあり、登美子が在宅中でも愛人と家でセックスをしているのですが、その部屋に登美子が敢えて入っていき、小遣いをねだるのです。
 
 この一連の描写における継母のひどく艶めかしい喘ぎ声と、それを聞きながら階段を後ろ向きに上る登美子の淋しげな姿。どちらも非常に鮮烈です。
 また、ここが重要なのですが、このシークエンスには賢一郎は登場しません。つまり、この状況を賢一郎は体験していないけれど観客は体験している、というわけです。
 
 そう、ある意味、登美子の事情や心情については、賢一郎よりも観客のほうがよく知っているのです。少なくとも私は、登美子に寄り添うというか、彼女のことを理解しているつもりで観ていました。本当はいろんな辛さや苦しさを賢一郎に受け止めてもらいたいんだろうな、という風に。
 だからラストで、彼女の子供の父親が賢一郎ではなかったことが突然明かされ、しかも本当の父親は誰でどんな事情があったのかなどは不明のまま映画が終わってしまうことに対して、釈然としないものを感じました。
 
 作り手側はどういう意図があって、最後に急に彼女を観客から遠ざけるような構成にしたのでしょうか。ラストで、観客の思いが賢一郎の側だけにグッと寄っていくようにしたかったとか? いずれにせよ、作り手側が賢一郎には甘く、登美子には冷たいような気がするのですが。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

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