『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0』

2008年 日本 監督:押井守 脚本:伊藤和典 声の出演:田中敦子、大塚明夫、山寺宏一、仲野裕、大木民夫、榊原良子        
新宿ミラノ、渋谷TOEI2などで上映中

 1週間ほど前に新宿ミラノにて鑑賞。1995年に封切られた『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』のニューバージョン。オリジナル版は封切の頃に何回も観ました(押井守監督の映画はけっこう好きなのです、特にこの『攻殻』シリーズと『パトレイバー』シリーズ)。今回は映像の一部と音響を作り直したバージョンなので、脚本はオリジナル版とほぼ同じ。

※以下の文章では、漠然とネタばれしています。

 現代よりもさらに通信ネット技術が発達し、人間の体も電脳化・義体(サイボーグ)化されつつある近未来、アジアの某企業集合大国。この国に、多数の容疑で国際手配中の謎のハッカー≪人形使い≫が現れる、との警告が。対策に奔走する政府非公認の特殊部隊、公安9課・通称≪攻殻機動隊≫。
 やがて捕獲された人形使いの自己保存プログラム(つまり人間ではない)は、一生命体として政治的亡命を希望し、さらに攻殻機動隊のリーダーで完全な義体と電脳を持つ女性・草薙素子に「融合」を申し出る‥‥。
 
 未見の方には「??」だと思いますが、分かりやすく説明しようとすると非常に長い文章になりそうなので、上記の強引な要約文でご勘弁を。そもそもこの映画の原作である士郎正宗のマンガからして、欄外に膨大な注釈が付いているほど恐ろしく情報量の多い作品なので、映画版も設定やストーリーが複雑なのです。

 そしてその複雑な設定やストーリーは、登場人物の会話の中でかなり説明されます。だから全体的に、台詞が多くてしかも長い。
 で、本来なら私は台詞の多い映画はあまり好きではないのですが、この作品は例外。台詞の内容が面白いし、全編ダラダラ喋りっぱなしというわけではなく、要所要所に台詞の無いシークエンスも挟まれていて、バランスがとれているからです。言葉が多いけれど多すぎはしない、というか。
 
 これは押井監督の他の映画、例えば『イノセンス』や、前の記事に書いた脚本作『人狼 JIN-ROH』にも当てはまります。
 やはり基本的には台詞が多いのですが、時折、風景を延々と映し出す(しかも映像が実に凝っていて音楽も素晴らしい)シークエンスなどが登場。その間は台詞がほとんど無いので、観客は「言葉ではないもの」をじっくり味わうことができるわけで。このメリハリのある構成、とても効いていると思います。『人狼』と今回の作品を立て続けに観て、改めて気付きました。

 さて、せっかくなので、ニューバージョンとしてオリジナル版と違う点について、さらに触れておきます。先ほど「映像の一部と音響を作り直した」と書きましたが、声優のキャスティングも一部違っているのです。人形使いの声が、前回は家弓家正だったのが今回、榊原良子に。男性の声から女性の声に変わったわけです。この変更によって、人形使いと草薙素子の関係がレズビアン的な雰囲気になりました。
 
 そのため、素子に対して密かに思いを寄せているバトーという男性キャラが、何だか可哀想なことに‥‥。もちろんオリジナル版でも、彼は素子を他の男に取られた形になっていて充分可哀想なのですが、今回はまた別の悲惨さが漂っているというか。
 例えば人形使いと素子が交信するシーンで、傍にいるバトーが、「女同士の秘密めいた会話に入り込めずオロオロする男」に見えるのです。何しろこの女たち、外見的にも(義体のデザインが)美しいし、声も揃って非常に艶っぽく、そんな2人が「私たちの世界」を創りあげてしまうと、武骨な大男であるバトーは完全に部外者、異質な存在。彼のこの奇妙な淋しさは、オリジナル版には無かったものです。

 最後に、この映画の中で個人的に好きな台詞を、ひとつ。人形使いの台詞です。「人はただ記憶によって個人たり得る。たとえ“記憶”が“幻”の同義語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ」。
 ある程度歳をとって気づいたのですが、自分が(男女問わず)他者に好感を持つときは、その人の記憶や「記憶の抱え方」に好感を持っている場合が多いような気がします。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
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