『ポプラの秋』

1997年発行(新潮文庫書きおろし作品) 著者:湯本香樹実

 湯本香樹実といえば、相米監督が映画化した小説『夏の庭』で有名ですが、私が彼女に注目するようになったキッカケは、『ボーイズ・イン・ザ・シネマ』(キネマ旬報社)というエッセイ集。これに掲載されている、映画『スタンド・バイ・ミー』(というよりも原作であるスティーヴン・キングの『The Body』)についての文章が、非常に鮮烈だったのです。
 
 乱暴に要約すると、「子どものころ心に引っかかったことにきちんと対峙せず、放置したまま記憶の底に眠らせていると、大人になってからその記憶が凶器となり本人をダメにしてしまう」というような内容。
 そして彼女は、そのダメになった状態を「死ぬまで腐ったお子様のまま」と表現しています。腐ったお子様! 「うわ、きっつい言い方するなあ」と思うと同時に、自分にもそういう傾向があることに気付き、彼女の洞察力と表現力にすっかり敬服してしまいました。

 この『ポプラの秋』も、ある意味「子ども時代の記憶」に関する作品です。恋愛や仕事で挫折し母親ともうまくいっていない25歳の女性・千秋が、幼い頃の知人である老婆の死をきっかけに、当時を回想する‥‥という構成。
 千秋は小学校1年のとき父を亡くし、それまで住んでいた家を出て、庭にポプラの木があるアパート「ポプラ荘」で母と2人暮らしを始めます。大家のお婆さんは一風変わっていて、自分は「あの世」に居る人に手紙を届けることができる、と言い張るので、千秋は父への手紙を何通もお婆さんに預け、母も1通だけ預けます。そして。

※以下、かなりネタばれ気味です。

 終盤で、現在の(25歳の)千秋は初めて、ある事実を知ります。長いあいだ彼女には知らされていなかった、父に関する事実。
 詳述は避けますが、それはかなり衝撃的な事実です。しかし千秋は動揺も落胆もせず、むしろ爽やかで前向きな気持ちになっていきます。なぜなら、その事実は衝撃的ではあるけれど、長年のわだかまりを払拭してくれるものだったから。母に対するわだかまりを。
 千秋から見ると、母には昔から不可解な言動が多く、それゆえにあまりうまく接することができなかったわけですが、事実を知ることによって、初めて母を理解できるようになるのです。しかも、母に対する深い感謝の気持ちが湧いてきます。
 
 そしてこの小説は、全編を通じて主人公の視点で書かれていることもあって、読者が主人公に共感しやすいので、最後に読者も千秋と同じような気持ちになれる‥‥はずなのですが、私は今ひとつ、そうなれませんでした。むしろ、千秋がすっかり前向きになっていることに対して、少々違和感を抱いてしまったのです。
 
 というのも、終盤で明かされる事実は、たしかに母への感謝の気持ちをもたらすものではあるものの、それと同時に、父への複雑な感情をもたらすものだ(と私は思う)からです。
 父の選択と、それに際して取った行動(ある人へ、ある物を残した)。どちらも妻や子供にとってはかなり残酷なことで、前者は何か事情があったのだろうから仕方ないとしても、私は後者が気になります。妻子にはそれを残していないわけだし。千秋はなぜ、この事実に動揺しないのだろう?
 
 もちろん「今となっては些細なことだから、動揺などしないのだ」という解釈は可能でしょう。しかし彼女は長い間、父に対して美しいイメージだけを抱いて生きてきたのです。実際、千秋の記憶のなかの父の姿が何度か描写されていて、それらはいずれも穏やかで優しくて包容力のある姿ばかり。そういう姿だけを20年近くも心に抱いていたところに、いきなり父の、ある種残酷な選択や行動を知って、少しも動揺しないのでしょうか。

 私はこの小説をかなり好きではあるのですが、終盤での、事実を知ってからの主人公の完璧な爽やかさには、やはり疑問を感じてしまいます。彼女はまず父の選択を「それでいいじゃないか」と肯定し、次に母に感謝し、やがて自分の今後について前向きな計画を立て‥‥と、一点の曇りも無いのです。何だか屈折が無さすぎるというか、父に対しても寛大すぎるというか。
 しかし今、ふと気付きました。こういう読後感を抱いてしまう(主人公の寛大さに共感できない)最大の理由は、私自身がまだ「腐ったお子様」だから、なのかもしれません。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

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