『映画時代 創刊号』

2008年9月発行 編集・企画・制作:活檄プロダクション(佐藤洋笑、港岳彦)
公式ブログ→http://eiga-jidai.seesaa.net/
 
 以前、創刊準備号の読後感想記事を書きましたが、今月発行された創刊号についても少し書いておこうと思います。今号の特集タイトルは「テロルの季節」。前号と同じく、特集テーマというよりも巻頭インタビュー(井土紀州)に興味があって読みました。
 
 というのも私は、井土監督の『ラザロ-LAZARUS-』3部作を公開時に観て、3作のうち、ヒロインがテロリストになってからの2作(『蒼ざめたる馬』と『複製の廃墟』)に物足りなさを感じたからです。
 簡単に言うと、ヒロインの敵にあたる登場人物(富裕層や権力者)の中に、手ごわい人物が居ない。皆、アホだったりお坊ちゃんだったり単純な悪役キャラだったり‥‥。これではスリルや緊張感に欠けるし、そもそも富裕層や権力者の中にはしたたかな人物もかなり居るはずなので(そうでなければ階級や権力は維持できない)、その種の人物が登場しないのは、格差社会やテロを描いた映画としてどうなの? と思ったわけです。(詳しくは公開時に書いた記事をどうぞ。)

 今回のインタビューの中で、井土監督はこのように語っています。
 ≪(前略)支配階級が自分たちに不満の矛先を向けさせないように腐心してきたのが、まさにこの二十年、三十年だったと思うんです。誰かを狙ってテロを仕掛けるということがあるとすれば、その「誰か」を見えなくしてしまう。ドラマでもそうですよ。昔は公害があれば公害を生んだ企業というものがいた。『ゴジラVSへドラ』(’71)ではヘドロが映された。見えやすい形での悪があり、青少年たちの心を奮い立たせた。でもそれを巧みに目くらましして敵を拡散し、「そんなことを考えるお前が一番悪い」というメンタリティを形成していった。(後略)≫
 
 つまり井土監督は、「支配者側は巧みだ」という認識を強く持っていると。ならばその認識を、『ラザロ』でも具体的に表現してほしかったです。要するに、支配者側の巧みさを体現するような人物を登場させてほしかった。そのほうが映画としての面白みも増したし、監督の持っている危機感のようなものが、より観客に伝わったんじゃないでしょうか。今後の作品に期待します。

 ところで、この創刊号自体について。まあ、これは既に色んな人が指摘しているとは思いますが、創刊準備号で始まった「連載 マチバ<町場>のカツドウ屋列伝」が今号に載ってないのは、休載なのか何なのか(事情説明が無いような‥‥)。ピンク映画人へのロング・インタビュー連載ということで、他ではあまり読めない企画だし、できれば続けてほしいです。
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サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
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