『ヴァイブレータ』

2003年 日本 監督:廣木隆一 脚本:荒井晴彦 出演:寺島しのぶ、大森南朋

 ブログ名にある「こびりつき映画」とは、「頭にこびりついている映画」のこと。そして、こびりついている理由というのは、「凄く好きだから」「好き嫌いは別として印象が強烈だったから」「強い疑問を感じて引っかかったから」などです。
 さて、この『ヴァイブレータ』は、まさに「疑問を感じたから、こびりついている映画」。封切り時に劇場で観た際、(非常に細かい部分にですが)強い疑問を感じ、また今回これを書くにあたってDVDで再見し、やはり当時と同じことを感じました。
 
 フリーのルポライター、早川玲、31歳。頭の中に氾濫する声や不眠に悩まされ、アルコール依存と摂食障害(食べ吐き)に陥っている彼女は、コンビニで知り合った男・岡部の運転する長距離トラックに乗り込み、彼の旅の道連れとなる‥‥。
 原作は赤坂真理による同名の小説。私は映画を観るよりもかなり前に、たまたま原作を読んでいたので、無意識のうちに原作と比較しながら観ていました。
 
 まず、主人公の玲がアルコールや食べ吐きに依存するようになった、根本的な原因。これについては映画も原作も、奥底に親子関係の問題があることを示しています。
 中学生のとき不登校になり、「精神科に行きたい」と言った玲。彼女に対し母親は、転校を持ちかけます。理由は「世間体が悪いから」。さらに、祖父の家に住民票を移せばいい、とその地域を下見に行って、母親は独り言のように呟きます。「いったい誰のためにこんな田舎に」。そして父親に関するエピソードは登場しません。死別したのか、生き別れたのか、一緒に住んでいても全く子どもと関わろうとしない人だったのか。いずれにせよ、父親は実質的に不在だったのでしょう。
 
 つまり玲は、少女時代に生きづらくなったとき、父親からも母親からも全く心配してもらえなかったというわけです(母親が心配していたのは玲のことではなく、「自分が世間からどう見られているか」ということ)。
 だから玲には、「真に親的なやさしさ」に対する渇望があります。実際、映画でも原作でも、その中学時代の記憶がきっかけで不安と混乱に襲われたあと、岡部に抱かれて泣いているとき、彼女の心の中に「おかあさん」という言葉が沸き上がってきます(映画では、字幕でこの言葉が表示されます)。
 
 そしてこの渇望を面白い形で表現した描写が、原作には出てきます。岡部からかつてホテトル嬢のマネージャーをしていた頃の話を聞いた玲が、「もし自分がホテトル嬢で、岡部がマネージャーだったら‥‥」と想像するくだり。
 客から酷い扱いを受けたとき岡部が助けてくれて、そのあと《彼はあたしの頭を撫でてくれる。事務所に帰ってお弁当を食べる。お茶と甘いお菓子をとる。大変だったなともう一度、頭を撫でられる。》
 この《》の中は小説をそのまま引用したものですが、これ、まるで誘拐された子どもが無事に帰ってきた場合の理想的な親子の姿みたいです。特に、時間をおいて2度も頭を撫でるところとか。
 
 しかし。映画ではこの部分が何故か中途半端なのです。客から酷い扱いを受けたとき岡部が助けてくれて‥‥というところまでは同じなのですが、そのあと。岡部が玲に、「何か美味いもんでも食ってくか?」と言うだけなのです。つまり、原作には濃厚にあった「理想的な親子の雰囲気」が激減しているのです。
 ここでの岡部の言動には、やはり親的な要素をもっと入れて欲しかったです。というか、何故わざわざその要素を排除したのか、疑問に思います。
 
 ちなみに私は、何でもかんでも原作の通りにするべきだと言いたいわけではありません。もしこの映画が、原作とは違って、玲の「親に対する思い」にあまり触れていないのであれば、ホテトル嬢のシークエンスもこのままで違和感は無いです。しかし、クライマックスの重要な部分(岡部の胸に抱かれて泣いているとき)に「おかあさん」という言葉を出している以上、そこに至るまでの要所要所で、玲の渇望のありようを充分に見せておくべきだと思うのです。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
twitter.com/saiboku_ya

最新記事
カテゴリー
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

ブログ内検索
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
RSSフィード
リンク