『訪問者』

 1980年 著者:萩尾望都

 前の記事の最後に触れた『訪問者』。先日、改めて読み直していてふと気づきました。このマンガは構成の面で、以前取り上げた映画『人狼 JIN-ROH』と少し似ています。
 両方とも、あるひとつの童話的な物語のイメージが作品全体を貫いていて、しかもそのことがラストで非常に効果を上げているのです。具体的にいうと『人狼』ではかの有名な「赤頭巾」、そして『訪問者』の場合、主人公の父親が語った「神さまがきた話」のイメージが、全編にわたって登場します。

 幼い少年オスカーは、売れない写真家である父グスタフと、商社に勤める母ヘラとの3人暮らし。しかし実は、オスカーとグスタフに血のつながりはありません。夫婦の間に子供ができなかったこと、また放浪癖のあるグスタフを家に引きとめたかったことなどから、ヘラが他の男性との間に子供を作ったのです。グスタフはそのことを知っていて、オスカー自身もうっすらと気付いていました。
 そしてオスカーが9歳の時、グスタフが衝動的にヘラを殺してしまい、グスタフはオスカーを連れて放浪の旅に出ます。
 
 冒頭近く(オスカーが6歳くらいの頃)、父子2人で猟について話し合っているとき、グスタフはオスカーに「神さまがきた話」を語り聞かせます。「あるとき神さまが、森の動物をたくさん殺している狩人を裁こうと彼の家にやってきた。しかし、家の中で小さな子供が眠っているのを見て裁くのをやめ、きた道を帰って行った」というような物語。(ちなみにこれ、聖書か何かに出てきそうな感じですが、単行本に掲載されている解説によると、著者の創作なのだそうです。)

 そしてその後オスカーは、何かあるたびにこの「神さまがきた話」を思い出し、自分の境遇や気持ちに重ね合わせます。例えばヘラが死んだとき、捜査のため家にやってきた刑事に対して、彼はこう言います。「たとえあなたが裁きをおこなえる神さまでも、子どものいる家にきてはいけないんだよ」。
 
 オスカーは、父が母を殺したことを知っていて、父をかばい続けます。母を嫌っていたわけではありません。父も母もそれぞれ大切に思っていたはず。しかしやはり、母亡きあと父までが自分の傍から居なくなることに恐怖を感じたのでしょうし、そして何よりも、父のことが大好きだったのでしょう。
 そう、彼は、血のつながりなど無くても、父のことが大好きなのです。また、父が売れない写真家であること、すなわち経済力があまり無いなどということは、どうでもいいのです。しかし父は、血のつながりやその他諸々のことを、常に気にしていたようです。

 ※以下の文章では、作品の結末に触れています。

 結局この意識の違いが、2人を別れさせることになります。というか、私はそのように解釈しました。オスカーはグスタフを誰よりも「本当の父」として必要としていたけれど、グスタフはオスカーのその気持ちを、完全に理解することはできなかったのでしょう。
 そしてこのラストの切ない別れにおいて、オスカーはまたしてもあの「神さまがきた話」を思い出し、心の中で、ある言葉をつぶやきます。この場面、素晴らしいです。素晴らしく哀しい。世の中に存在するある種の哀しみ、非常に近しいはずの人と分かり合えなかったことの哀しみを、見事に掬いあげています。

 ところで、この文章を書いていて思い出したのですが。「父と息子」を描いた作品として、もうひとつ私が好きなのは、『イゴールの約束』。ダルデンヌ兄弟の映画です。いつかこれについても書くつもりです。
プロフィール

サイボク

Author:サイボク
60年代後半生まれの♀。
東京在住。
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